新聞屋の迷惑

つぶやき

 幸いなことに我が家の近隣関係に今のところトラブルはない。
 以前右隣りは新聞販売所であった。閑静な住居地域内の新聞販売所である。
 昔から新聞屋と牛乳屋の隣に家を建てるな、という言い伝えがある。トラブルが起きないはずはない。
 トラブルは当事者双方に原因があると言うが、それは警察の無責任な常套文句であって、トラブルのほとんどは一方的なものである。

 新聞を配送するトラックが、午前2時ころには幅6メートルの生活道路を何の遠慮もなくガタンガタンとやってきて、新聞の束を販売店の前にドーンドーンと放り投げていく。
それに前後して折り込み広告の配達車が何台も来て、荷台の扉をガチャンガチャンと開閉して、やはり同じように折り込み広 告をバーンバーンと放り投げていく。
 3時過ぎからは配達員のバイクの音がドッドッドッと鳴り響き、配達員の話声や笑い声が眠気に障る。
擬音が多いがそういうことなのである。寝てなんかいられないのである。

 土地を買うとき隣が新聞屋さんであることは知っていたが、住宅地のことであるからそれなりの気遣いはあるものと思っていた。
 しかしそんなことは全くない。文書で苦情を伝え、商業地への移転を求めた。
 大変ご迷惑をかけていますという返事はあったが一向に改善しない。そちらが引っ越されてくる何十年も前からこちらはここで商売をやっています、という文言が目立つ。
 それから10年以上経って幹線道路沿いに移転した。

 この新聞屋とは土地境界のフェンスの位置も違うことから、そのことについても苦情を伝えた。
 先方の弁護士から手紙が届いた。フェンスの設置変えについては承諾するが、今後一切苦情を言わないことについての誓約書 を書けというのである。

 弁護士ともあろうものがそんな文書を出せと言うのがおかしい。そちらから、今まで騒音で大変迷惑を掛けました。境界フェンスも間違えておりました。今後そのようなことは致しません、という誓約書を書いて私に謝罪するのが筋ではないか、と反論した。
 当方としても今まで騒音で被った被害の損害賠償請求をする、と合わせて伝えた。

 その後弁護士からは何の連絡もない。新聞屋のご亭主が高価なお茶を持って挨拶に来た。しかし謝罪はなかった。
 昔、新聞屋は「3年で家が建つ、5年でビルが建つ。3日やったら新聞屋はやめられない」と言われていた。折り込みチラシの利益が大きいらしい。
 この新聞屋さん5、6年前に廃業してしまった。将来を見越して転業するらしい。

 近隣トラブルで厄介なのは土地の境界問題である。土地の境界のトラブルは弁護士も逃げる。境界の専門家という土地家屋調査士も嫌がる。
 法務局(登記所)は土地の境界に関する問題は法務局にご相談くださいと言うが、何の役にも立たない。土地の境界問題が、責任感のないお役人に解決できるはずはないのである。

 土地を売る時不動産屋から、実測して隣地関係者の印鑑証明書付き境界確認書を提出してください、と言われることがある。
 相手に何かを求めるというのは立場が弱い。ハンコを押してもらいたいというと相手は偉そうな態度をとる。
 境界が争いになると何が正しいのか誰も証明できないのである。
 登記所には公図なるものがあるが境界を確定したものではない。地番を間違えて表記したものもあり公図と言いながらいい加減なものである。証明書類ではない。

 境界と言うのは当事者が納得しない限り定まらないものなのである。だから自分から確認を求めると、相手がワルの場合はどうしようもないことになる。土地の境が違うと言い出されたら解決しようがないことになる。
 弁護士に相談すると、「相手のハンコが必要なら相手の言いなりになるしかありません」と言う。境界問題と言うのはそういうことである。だから決して自分から境界の確認を求めてはいけない。
 不動産屋が境界確認書を求めたら断るか、現況渡しにしたい、と言えばいいのである。それでは困るというなら不動産屋を変えればいい。1ミリでも境界にこだわる人間がいる。最もタチが悪い人間である。

 近所付き合いのトラブルというものがある。この場合も、どちらか一方が悪い。
 「どっちもどっちなんじゃないの」と分かったようなことを言う人がいるが、何も分かっていない人である。

 近所に困ったおばあさんがいる。いわゆる陰口をたたく人である。今でもこんな人がいるのかと思う。
 あの人がこう言っていた、ああ言っていた、ということを人に告げ口をするらしい。
 すると今度はこう言っていた、ああ言っていた人のところに行って告げ口をした人の悪口を言うのである。
 告げ口とはそういうものであった。小沢一郎のような人なのである。人間関係の壊し屋である。顔も似ている。

 私の家にも来たことがある。「お宅は隣の新聞屋と仲が悪いと聞いている。今度の町会の役員は一緒にやることになっているからうまくいかないのではないか」という話である。
 何を言いに来たのか分からない。トラブルを起こしたいだけのようなのである。
 最近我が家の庭先に来て、家内相手に愚痴をこぼすようになった。話を聞いてくれるのはあんただけだよ、と言うらしい。
 無視すればいいと思うのだが、家内もよせばいいのに後のたたりを恐れて聞いたふりをしている。

 人との付き合い方は時代とともに変わっていったのかもしれない。他人の生活に干渉することがいい人間関係を作ると考えた時代もあったのかもしれない。今はなるべく付かず離れずつき合うのがいいとされている。
 こういうおばあさんを見ているとなぜ夫は注意しないかと思う。気が付かないと言うこともあるかもしれないが、一緒に生活していれば分かるはずである。

 困ったおばあさんではないが、もう一人、人づきあいのできない人がいる。以前このブログにも書いたが、何の意味もなくめったやたらと人を褒めるのである。
 この人も孤独である。訳もなく人を褒めたら人は寄り付かない。
 ご亭主に何度か忠告したが、ご亭主は何もしなかった。これもお節介ということだったのだろうか。(了)

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