金 婚 式

つぶやき

 またコロナ感染者が東京で1万人、全国では10万人を超えた。しかし政府も尾身さんも、かなり楽観的な見解を述べている。
 以前の感染対策とか経済対策とは何だったのだろうかと思う。誰が見たって、放っておこう、と政策を転換したとしか思えない。

 私たち夫婦の結婚記念日は11月3日である。今年は腰の狭窄症の手術のため病院でこの日を迎えた。
 昨年は結婚50年、金婚式ということだが、コロナのせいで家族との会食など何もすることができなかった。

 50年前のことでも結構記憶に残るもので、結婚式のことをよく覚えている。
 政治家達がわずか数年前のことを、記憶にない、と言うが、人間の記憶とはそんなに簡単に消え去るものではない。

 11月3日という日は例年天気がいい日とされている。51年前のあの日も朝から晴天であった。
 結婚式場は飯田橋から市ヶ谷に向かった公園沿いにある私学の校友会施設である。
 
 結婚式や披露宴は午前中に行うのがいいのかもしれないが、夕方の予約しか取れなかった。飯田橋から外濠公園を歩いて式場に向かったが、外濠越しに見た西の空がきれいであった。

 その外濠公園で私は犬の糞を踏んでしまった。うんの尽きなのか、うんがついたのか、と笑ったが、その後の生活を想うと不うんではなかった。

 披露宴はささやかなものであったが、50人を超える親戚友人の出席もあり、楽しく思い出深いものとなった。
 10年前99歳で亡くなった母はまだ60歳、妻の両親も50代半ばであった。

 当時私は全くお金を持っていなかった。妻への婚約指輪も気がつかなかった。
 妻はわずかの結納金をもって自ら婚約指輪を買った。
 いろいろ後悔することが多い人生だが、このことは今でも己の愚かさに情けなくなる。

 そのためかもしれないが、何とか生活にゆとりが出るようになって、私は妻の指輪に少しこだわった。誰もがうらやましがるような指輪をプレゼントしたいと思っていた。

 結婚費用は母に出してもらった。いま考えるとなんと計画性のない息子であったかと思う。

 自分の子供たちが結婚するとき、誰も結婚費用を私なり妻に依頼したことはなかった。私は口には出さなかったが正直驚いた。彼らが結婚のために貯金をし、親に金を出してもらうことなど考えてもいなかったとは意外であった。

 自分たちのことは自分たちでやる。そう考えていたのであろう。私は自分のことを思い、子供たちに気づかれないよう、ただただ恥じ入るばかりであった。

 私たち夫婦は24歳で結婚したから金婚式のときに74歳である。今の時代からすれば若いということになるだろう。

 50年を振り返ってみれば、若い頃金がなかったということに尽きる。
 しかし男が金がないと実感することは大したことではなく、妻の実感の方が切実で大変な事であったろう。

 私は大した稼ぎもないのに家事、子育てはすべて妻に任せた。任せたというのも嘘っぽい話で、要は何もしなかったということである。

 二人の子供は私立の高校、大学と進んだが、よく学費を払うことができたものだと不思議でしょうがない。不思議と感じるのも男の無責任以外のなにものでもない。妻の切り盛りによるところがすべてなのであるから。

 リンゴの芯を食べないですむようになった。キリンレモンの箱買いができた。花を買うことができた。来客に冷や麦ではなく寿司をだせるようになった。温かい毛布を買うことができた。上等の羽毛布団に寝るようになった。
私と妻の金婚式までの一里塚である。

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