都民から県民になったのは31歳の時であるから、県民の方が長くなった。
都民でなくなったのは、美濃部さんが4期目の最後の年になる。
今度の都知事選挙では、小池さんも蓮舫さんも公職選挙法違反で告発を受けているようだ。検察は受理したのかどうか知らないが、なしのつぶてというわけにはいかないだろう。どういうことになるのか楽しみである。
ウイキペディアで都知事選挙のことを見ると妙に懐かしい。
私が最初に覚えている都知事は東竜太郎氏である。選挙権はなかったが、東京オリンピックの推進者であったように思う。
東氏の後は、美濃部亮吉氏が3期続くことになるが、1期目の選挙は1967年であった。私は20歳になっていたが、選挙に行った記憶がない。
開票の結果は、母と兄との京都旅行の最中に知ったが、母は公明党が支持する候補者が落選して機嫌が悪かった。
この時の2位は松下正寿氏であったが、美濃部氏は220万票、松下氏は206万票。美濃部氏の圧勝ということではなかったようだ。
美濃部氏は2期目の選挙では360万票を取り、2位の秦野章氏に圧勝する。秦野氏は確か警視総監を務めた人である。
美濃部氏の3期目の選挙において、意外なことに石原慎太郎氏が立候補していた。石原氏はこの時40歳を少し過ぎたくらいではないだろうか。
どんな政治的意図があったのかは知らないが、国会議員として最も脂の乗った時期。30万票の差で美濃部氏に負けた。
美濃部都政は都民に歓迎されたが、大盤振る舞いの都政という批判を受けるようになり、任期末期はなにか寒々しい印象がある。
美濃部都政が終わって1979年から4期16年間、鈴木俊一都政が続く。
自治官僚の出身で、あまり面白味のある人ではなかった。
NHKの磯村尚徳氏が、銭湯で客の背中を流したパフォーマンスが話題になったが、あれは鈴木都政3期目の選挙の時のことであった。磯村氏は2位で落選するが、選挙は政策よりパフォーマンスが大事とされるようになっていった。
鈴木都政後1995年、平成7年の選挙では、青島幸男氏が自民、社会、公明などが支持する石原信雄氏を破って当選する。
青島氏はその時準備が始まっていた万博の中止を公約に掲げ、当選後公約を実行した。そんなことをやった人であったが、選挙活動はほとんどせず、選挙期間中は海外旅行をして遊んでいた。都知事としての実績はほとんどない。万博中止も面倒だからやめたという感じである。無責任を地でいった人である。
石原慎太郎氏は4期も都知事を務めるが、問題だけを残してやめていった人である。憂国の士であったはずだが、憂いていたのはファミリー企業の業績のことだけのようであった。エラそうなふるまいの多い人であったが、それだけ晩年の姿は悲惨としか言いようのない人であった。
石原都政を継いだ猪瀬直樹氏の得票数に驚いた。438万票。2位の宇都宮健児氏は96万票。この数字は小池百合子氏の得票数をはるかに超えている。そんなに人気のあったような人だろうか。
猪瀬氏は政治資金で、その後を継いだ舛添氏は、家族と近所の天ぷら屋で食事した領収書を経費としたことから任期途中で失脚した。東大卒の政治学者が、たった1枚の領収書で政治生命を絶たれた。せこい知事が何代も続いた。
学歴詐称、公選法違反。今度はどんなことになるのか。(了)
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