過ぎた1年、新しい1年

つぶやき

 4月になった。今年も4分の1が終わったことになる。我が家のささやかな庭にもいつの間にか女房好みの花が咲き始めている。きのう八百屋さんが、いいものが手に入ったので、とソラマメとタケノコを届けてくれた。目と口の春がいっぺんに来たようだ。ここだけの話、ソラマメは初物が旬である。

 このところ1週間経つのが異常に速い。異常という言葉を使うほど本当に速い。生協の配達は毎週金曜日なのだが、来たばっかりなのにまた今日も来ている、という感じである。これはおかしい。老人の生活というのはこういうことだろうか。

 この4月は私にとって過ぎた1年であり、新らしい1年の始まりである。癌という病気の経過期間は手術の時から起算する。これからの私のカレンダーは4月始まりのものになる。
 癌を発症して1年が経った。この1年速かったか遅かったかと言えば、いろいろあってよく覚えている1年、ということになる。速いか遅いかというのではなく、1年がしっかりあった、という感じである。何事もない月日は記憶に残るものがないから白紙の多い日記をめくるのと同じで、過ぎていくのが速いということであろう。

 何事も過ぎてしまえば早いもの。孫たちがロンドンで3年間過ごすという時、ずいぶん長いなと思ったが、その3年も過ぎ、帰国してから1年が経った。この4年間は私の70代前半ということになる。もし80代を迎えることができたら、あの頃孫は日本にいなかった、ということが、私の70代前半を言い表す言葉になることだろう。
 
 この1年、歳を感じたことはないが、感じさせられる年であった。やはり人間杖をついて歩いたら誰が見たって年寄りである。名医のお陰で痛みもなく歩行もできるようになった。車の修理と同じで、壊れた部品さえ取り換えれば新品同様とは言わないが、まだまだ十分使えそうだ。
 幸い今のところ差し迫った命の危険はない。病は突然来るもので防ぎようもないことを知ったが、これからの時間、元気で生きていかなければいけないと思う。

 老中の(誰かが言っていたが老後ではなく老中がいい)生活はまさに人様々。夫婦は二人とも元気とは限らない。死別した人もいれば、生涯独身だった人もいる。つらい人に気持ちを寄せたいが、気持ちを寄せたところで大した役に立つものでもない。つらい人は結局つらい人生を送るかそれを乗り越えるしかない。それがわが身でないことを祈るのが幸せな人だ。

 夫婦の老中は何より二人が元気なことに尽きる。二人揃って旅行するとか、おいしい料理を食べるとか、ということばかりではない。それはそれでいいことだが、とにかく元気にいて、相手に負担を掛けないことである。女房に負担をかけるだけの人生だった私が分かったようなことを言うが、それができる人生最後のチャンスが老中である。誰でも他人のためではなく、自分のやりたいことをやっていきたいはずだ。同性が結婚する時代である。古い頭で生きてきた男はモデルチェンジしなければならない。

 夫に仕えることが妻のつとめとして生きてきた女性は多いであろう。夫に尽くすことが自分の幸せ、と感じている女性も多いようだ。それはまたそれでいいことなのだろうが、それでは男にとって都合がいいだけのことである。夫も妻も、特に妻は、老中を元気に過ごすには、自分ファーストにするべきである。最近女房の言葉が論理的になってきた。何かがとれたのであろう。口調はやさしいが舌鋒鋭い。いいことである。

 この1年家族に迷惑をかけてきた。病気だから仕方ないことだが、しかし病気はやはり家族に迷惑をかける。自分ではどうしようもないことであるが、病気は人生の大きな障害となる。生きている間は病気になってはいけないと思う。病気になっても元気な病人でなければならない。
 
 これから老後に向かう人生、霧の立ち込める山中をドライブするようなものであろう。しかし私は運転がうまい。アクセルとブレーキを踏み間違えても大丈夫だった。雪道や居眠り運転で死にそうになったことがあるが生きている。私には運がある。人生の前半生は自分の運を確認するためにある、とは誰も言っていないかもしれないが、運があるから後半生がある、ということは言える。運があるということは希望が持てるということである。青春とは違うが、希望をもって老後に向かおう。ただ一つ気になることがある。やはり運転である。運が転ぶと書く。(了)

コメント

タイトルとURLをコピーしました