別に急いで墓を買わなければならないということではないが、昨日は3件の墓園、霊園を訪ねた。
祭日に墓参りはあっても墓探しはどんなものかと思うが、広い墓地を歩くことは高齢者にはいい運動になる。
墓を求めている人が多い。高齢の親と思われる人と、40代くらいの子供連れの夫婦が係員の説明を聞いている場を何度か見かけた。
多死社会という言葉があった。団塊の世代は高齢者となっていく人も多いが、死んでいく人も多いということになる。
どの墓園も霊園も繁盛しているようで、販売員も強引に売り込むようなことはない。墓は強引に売るものではないが。
墓について大体のことが判ってきた。いろいろと選択肢がある。
墓には維持管理、継承、墓じまいといった結構面倒なことが将来にあるから、それにも配慮しないと売れ行きが良くないらしい。
買った墓に5年や7年、13年といった使用期間が設けられていることを知ったが、これも墓の継承のことから作られた墓の形態のようである。しかしおちおち死んでもいられないということになる。
500万から600万くらいかければ、まあまあの霊園に、昔ながらの墓石によるまあまあの墓を建てることができる。
樹木葬であれば数十万でとりあえず墓に入ることができるが、13年後には合祀となり、その墓から出ていかなければならない。
なにを考えればいいのだろうかと考える。
姉が建てた墓の立派さが良く判った。商売もじり貧の時であったと思うが、あれほどの墓をよく建てたものだと思う。墓は執念で建てるものなのかもしれない。
墓は祖先を弔うものであった。田舎の木立に囲まれた古い墓地を訪ねれば、祖先を弔うという気持ちにもなるが、色とりどりの草花に囲まれた遊園地のような霊園に行くと、墓参りはレクリエーションになっている。
不動産屋が宗教法人を買い取って霊園を経営しているケースが多い。
「これからの墓に塔婆なんてあったら墓っぽくなって買い手がつきませんよ」などと販売員が言う。そうか、墓地が墓地らしくあったら売れないのか。
墓を買ってもお参りする身ではなく入る身。気持ちの落ち着くところになるまで、ゆっくり墓のことを考えようと思う。(了)
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