通所リハビリセンターなるところに初めて行ったが、そこがどんなところかということより、通所と言う言葉がどうもピンとこない。なにかの書き間違いではないかとさえ思っていた。
もともと通所なる言葉があったのだろうかと思って調べてみると、「特定の施設に養育・療育・介護・リハビリ・更生を目的に通うことを指します」とある。
要は、通ってリハビリをするところ、ということである。
「通所」という言葉をつけるのであるから、通所ではないリハビリというものがあることになる。通所ではないリハビリは「入所」ということになる。
そういえばデイサービスなるところには泊りで介護するものがあるし、老人ホームというものは通いではなく、そこに生活を移すことであった。
入所施設と通所施設。こう並べるとなるほど、そういうことかと思う。
しかし通所というのも味気ない。「かよいどころ」と言えば、小料理屋か女性の元を連想し、ともかく通うことであることが理解できる。
昔「通い」と「住み込み」というものがあったのを思い出した。今の人には分からないだろうが、店員さんというのは住み込みで働いていたのである。住み込みとは店主の家に同居することである。田舎から出てきて住む家のない人は「住み込み」で働く以外になかった。「店員募集 住み込み可」と電柱に張られたチラシが懐かしい。
「通い」と「住み込み」の世代としては通所は理解しにくい。入所と言えば刑務所ということになってしまう。
通所リハビリセンターとは、通ってリハビリ訓練をするところということになる。介護にもいろいろ等級があるらしく、通所リハビリセンターを利用することができる人は、自分のことが自分でできることが条件となる。介護を要することではなく支援であるから、重症な病気になった人でも、自分のことが自分でできれば利用することができる。言われるまでもないことだが、自分のことができるとできないとでは大変な違いがある。
行ってみてまず圧倒されたのは人数である。人だらけである。続いてびっくりしたのはみんな大変な年寄りだということである。介護施設であるから当たり前のことだが、ほとんどの人が80代半ば過ぎから90代ではないだろうか。自分も歳をとったから他人の年齢が分からなくなったが、70代はまだ若い。
年寄りだらけという印象と共に、脳卒中を患ったのではと思われる人が一番多い。右手か左手を抱えるよう曲げて、杖を突いて片足を持ち上げるように歩いている。
歩いているのに前に進まない人が何人もいる。街中でよく見かける小股というよりすり足をしている人である。
この施設はマッサージよりも運動器具によるリハビリである。10ほどある運動器具のうち4つの操作を教わることになった。
職員の人たちも親切である。驚いたことに誰も私の名前を知っているのである。アンケート書類を渡す時も、順番待ちのときも私の顔を見ただけですぐに名前を言う。これには感心したが、施設の経営方針なのかもしれない。
とりあえず3ヵ月くらいは通ってみようかと考えているが、週に1度である。効果があるかどうかはおのれの努力次第、とは言っても努力しなくても効果があってほしいと思うのが人情である。
施設にいる時間は3時間半となっているが、その時間拘束されるということではない。この時間をどう過ごすかは自由のようである。中には読書のために来ているような人もいるらしい。
人との交流のためにいろいろなサークルが用意されている。男女間のトラブルが多いのか、そのことに関する注意書きがパンフレットやアンケートに載っている。まさかとは思うが、男女間のことと老いとは関係がないらしい。
自分には関係がないと思っていたことが年と共に身近なものになってきた。
通所リハビリはまだ序の口である。なんとかこの施設から引き返せる人生を送りたい。
終了時間が来て次回の説明を若い女性から受けているとき、突然年寄りが「おねえちゃん。いつもきれいだね。ヘッヘッヘ」と声をかけてきた。
考えてみればここは昭和だらけであった。昭和のオッサンは健在のようである。(了)
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