極めて簡単に言えば、日本人は農耕民族であるから和を尊ぶ。西欧人は狩猟民族であるから個が重要で、自分の考えや行動を大切にする、ということになっているようである。
日本人を農耕民族という捉え方は、日本人の連帯感や規範意識、生真面目さ、何事にも黒白をはっきりさせない曖昧さなどの国民性に関して、いい意味でも悪い意味でも使われた言葉である。「目からうろこ」のように、かなりの説得力を持って人々に受け入れられたようだ。
しかし、何事も和をもって人と接するのが農耕民族で、ハッキリものを言うのが狩猟民族である、という話も、あらためて考えてみれば、そんなにハッキリと言い切れるものでもない。
なにより「西欧は狩猟民族である」という認識がどうも違うらしい。
どの民族も大昔は狩猟民族であったが、安定した食料の確保のため農耕民族になっていくことは、人類の歴史が明確に示すところである。
肉を食べているから西洋人は狩猟民族、米を食べているから日本人は農耕民族、といったレベルで、農耕民族と狩猟民族が語られた形跡がある。
現存する狩猟民族は、現在地球上にほとんどいない。ジャングルに棲むごくわずかな未開人だけである。「狩り」だけでは多くの人口を維持することはできず、大きな社会が成立しないのである。
西欧は1万年も前から農耕民族であった。日本の農耕は3000年くらい前の縄文時代あたりからである。日本は決して生え抜きの農耕民族ではない。
したがって、日本人の国民性を農耕民族であることに根拠を求めるのは正確ではない。
日本は農耕民族であるよりも狩猟民族に近いという説がある。
現在でも「狩り」が最も盛んに行われている国は漁業大国日本である、というのがその根拠である。
日本の食料自給率は、だいぶ前から30%くらいと言われている。
世界的な食糧難が起きたら真っ先に餓死するのは日本人ではないか。
「本当に『農耕民族』を標榜する民族が、こんなにも自国の食糧事情を軽視するだろうか?「狩猟民族」であるからこそ自国の農業をここまで軽視するのである」とブログに記載する人がいた。
どうやら日本は、農耕民族ではなく狩猟民族であると認識するべきなのかもしれない。
日本の社会状況を眺めてみると和を尊ぶどころではなく、滅茶苦茶なことが行われている。先日の衆院補欠選挙や都知事選挙は全くひどいものがある。
農耕は文明、狩猟は未開である。
この日本は未開と言うべきなのかもしれない。(了)
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