高齢者の生活において日々の買い物は大きな負担である。
我が家はまだ私が車の運転をしているから重たい買い物でも不自由なことはないが、これで車のない生活になれば大変なことになることは目に見えている。私は歩きにくいから、すべて家内に頼ることになってしまう。家内が動けなくなったら……。あり得ないことではない。
近所に住む90歳になる知り合いのご婦人は、毎日のようにリュックを背負い、両手に袋をぶら下げて買い物に出かける。かなり痩せてしまって、体も曲がったように見える。
ご主人は口うるさい人で、その日の食事の材料にこだわるようだ。
一緒に行けばいいものを、と思うが94歳。最近は寝ていることが多くな
ったという。そういえば年寄りはよくうつらうつらと寝ていたものである。
私も免許返納を考えなければならない歳になってしまったが、これで車の運転をしなくなったらどこにも行けず、何もできないことになってしまうだろう。
高齢者の交通事故が社会問題となっているが、なんとも難しい問題である。高齢者にとって車は命綱でもあるからである。
車がなければちょっと歯医者に行くにもタクシーということになるが、最近ではそのタクシーがなかなかつかまらない。近郊でのバスの運行が廃止になっているところがずいぶんあるという。この傾向は今後さらに進むのではないだろうか。
だいぶ前にテレビで見たことであるが、奥さんを亡くされた男性がなにかのきっかけで若い車のセールスマンと知り合うことになる。
男性は70歳を過ぎていたように見える。奥さんを失った寂しさを、そのセールスマンに打ち明けることもあったようだ。
奥さんは車好きで、若い頃は二人でよく遠出をしたという。
セールスマンは、多分その男性から車の購入の相談を受けたのかもしれない。セールスマンはいろいろ考えた末に、ベンツのツ―シーターのオープンカーを勧める。色は赤。もちろん1000万円以上の価格だったと思う。
納車の日、男性は奥さんの遺影を助手席に置いてドライブに出かける。
すれ違う車や、歩道の人達から羨望の視線やカッコいいといった声援を受ける。
白髪の男性と赤いベンツ。
時々この話を思い出すことがある。
赤いベンツは亡くなった奥さんとの楽しい旅行を思い出させてくれたのだろうか、それとも更に寂しさが募ったのだろうか。
今乗っている車の車検が8月。車高の低いスポーツタイプなので腰に持病を抱える身には乗り降りが辛い。
最近はやりのSUVとかいう車に買い替えるか。車のことでいろいろ悩むのも楽しい。
人生最後の車。乗りやすさを考えるが、フランス車やイタリア車のような遊び心のある車にも惹かれる。
あとせいぜい3年くらい。車に乗って亡き妻の思い出を追うのは寂しい。
生きている妻と一緒に乗ってこその車である。(了)
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