珠玉という言葉は、珠玉の名曲とか珠玉の短編集というように使われるが、小さいものとか短い文章などに対して使うもので、珠玉の長編小説とか珠玉の交響曲などという言い方はしないことになっている。
珠玉はもともと真珠とか宝石のことを指す言葉であるから、大きくて堂々としたものには使わない。真珠採りのアリア、マドンナの宝石。確かに珠玉の名曲である。
スメタナのモルダウは珠玉の名曲と言いたいところであるが演奏時間がちょっと長い。
中学の音楽の時間にモルダウを鑑賞することがあった。
あの頃は映画でも演劇でも音楽でもみんな鑑賞であった。
先生が大事そうにレコードに針を落とし、しばし上流のせせらぎを思わせる序奏が過ぎた後に、華麗にして壮大で、美しいメロディが弦のユニゾンで流れる。
クラスで、こう言っては彼に悪いが、成績がほとんど最下位でクラシック音楽など聴いたこともないという友人が「いい曲だなあ」と感心しているのである。
まさか彼が音楽を聴いて感動するはずはないと思ったのだが、感動しているのである。
その後彼が音楽好きになったかは分からないが、あの時の驚いたような、うれしそうというのか、彼の顔を今でも思い出す。モルダウは大曲であるが、珠玉の名曲である。
井上忠夫さんと言えばブルーコメッツのボーカリストであり、あの「森トンカツ 泉ニンニク かコンニャク まれテンプラ」と替え歌にもなったブルーシャトーの作曲者である。
その井上さんのことでよく覚えている話がある。
アメリカでのことだと思うが、彼が作曲した曲を演奏したとき、それがブルーシャトーだったかは分からないが、バックで踊るアメリカのダンサーたちが、この曲では踊れない、と言い出したというのである。
ヨーロッパや、その流れを受けているアメリカにおいては、音楽は踊れることが基本である。
井上さんはこのことにショックを受けたらしい。日本のダンサーは踊れてもアメリカのダンサーは踊れない。何か根本的な違いを感じたようだ。
藤山一郎さんは現在の東京芸術大学を出た流行歌の歌手である。
戦前から平成の初めころまで、まさに歌謡界の重鎮として存在感のあった人である。
名曲と言われる古賀政男の「影を慕いて」や「酒は涙かため息か」を歌って大ヒットとなったが、歌い方は、実にさっぱりと、悪く言えば音符通りの味わいのない歌い方である。
「影を慕いて」などは、うんざりするほど情念的で女々しい歌であるが、藤山一郎さんは少しテンポを速めにさっさと歌う。情に溺れない。「ダラダラしてたら置いていくよ」、という歌い方である。
日本人には英語などのLとRの区別した発音が難しいらしい。
藤山一郎さんは歌謡曲を歌うときもラ行の発音を、舌を巻いたいわゆるRの発音をする。Lの発音ではない。
聴くたびに、これでいいのかなあ、と思うが、芸大出身の歌手としては、アカデミックな音楽家であることのこだわりもあったのであろう。しかし日本語に巻き舌はやはりおかしい。
小澤征爾さんは日本と西洋音楽の真ん中にいた人である。
指揮者として世界の音楽界で活躍し続けることは大変な苦労であったろうと思う。何年か前から体調を崩されているが回復を祈るばかりである。
小澤さんがN饗との関係が悪くなり、活動の拠点をボストンに移す時のさよなら演奏会を私は聴いている。
メインはチャイコフスキーの5番のシンフォニーであったが、ドイツの指揮者のもとに長く訓練をしてきたN饗とは違う響きを日フィルは出していた。
小澤さんは若い頃から楽屋ではゆかたを着ていたらしい。下着はふんどしを締めていた。
その理由を問われると、日本人としての物を身に着けていないと、外国の演奏者と対等の関係に立てない、というようなことを言っていた。
小澤さんは何年も前から、桐朋学園の齋藤秀雄門下生によるオーケストラによる演奏を続けているが、その名称はサイトウ・キネン・オーケストラである。
サイトウ・メモリアル・オーケストラではないかと思うが、なにかこだわりがあるのであろう。
小澤さんのウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは2002年のことであった。 私の勝手な推測であるが、あれ以来小澤さんの音楽は変わったような気がしている。その後出演したことはなかった
何十年か前に名曲喫茶でウィンナワルツが流れていた。なかなかいい。
誰が指揮しているのかと店の人に聞いてみると日本人であった。私の心の深いところに響く演奏である。どうしてだろうか。
遠い日を思い出した。子供のころ住んでいた下町の裏の空き地にサーカスがやって来て、1か月近く公演する。
私は毎日聞こえてくる場内のアナウンスも音楽もみんな覚えてしまった。
空中ブランコのときは「美しき天然」の3拍子が流れる。曲調は悲しげであるが律儀な3拍子である。
サーカスは悪いことをすると売られてしまうところであった。
売られてしまった人の空中ブランコと、悲し気な3拍子。
この3拍子でウィンナワルツが演奏されていたのである。私の心に響くわけである。(了)
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