昨日は午後から家内の病院へ。入院を控えた最後の検査のようである。
いつものように高齢者が多い。どうやってこの病院にたどり着いたのだろうかと思う人ばかり。
家内が検査を受けている時、新宿戸山ハイツのネット記事を読む。
「あちこちで孤独死」…新宿一等地の限界団地「戸山ハイツ」の住人が抱える「哀しき時限爆弾」
小学校のときの担任の先生は戸山ハイツに住んでいた。その当時戸山ハイツは平屋の都営団地であった。先生は新宿から東京下町の小学校に通勤していたことになる。
先生は自分の住まいが戸山ハイツということを生徒に何度が話したことがある。東京の下町とは違って緑豊かな住みやすいところである。そんなことを生徒たちに言いたかったのかもしれない。
先生の名前は「ハツヱ」といった。ハイツということが小学生には判らない。「ハツヱ」だから「ハイツ」に住んでいるのだと思っていた。
戸山ハイツは今から50年ほど前に、8階建てくらいの共同住宅に建て替えられた。35棟もある大規模な団地になったが、現在では高齢者団地になってしまった。
その先生も孤独死であった。ご主人が亡くなられて一人住まい。誰にも看取られず亡くなったらしい。子供達とも疎遠であったという話を聞いたことがある。
ご主人が亡くなられた時、「とうとうおいて行かれたしまった」とつぶやいた先生の声を聞いた。
きのう付けのブログで甥っ子のことを書いたことからいろいろと考えてしまった。
30代で離婚して、一人しかいなかった子供は別れた妻と生活し、60になり仕事もジリ貧。
この先もっと歳をとったらどうするのだろう。親の借金から、いずれは自宅を兼ねた作業場は人の手に渡ることになるかもしれない。自営業だから年金も少ない。
親の責任というものを考えざるを得ない。姉夫婦は働き者だった。夜も寝ないで働いたが、しかし義兄は働くだけで経営ということに無関心。姉は浪費家であった。
子供たちに十分な財産を残せたはずだと思うが、財産を残すどころか借金を残しては子不幸というものである。
跡取りという言葉があった。今は後継者というのかもしれない。後継者不足ということが言われるが、親の職業が先行き暗いものであるなら後継者不足は当然のこと。
後継者がいないために特定の技術が終わってしまうということはよく聞くが、食べていけての技術。技術が継承されないことの寂しさを感じることがあるが、それは部外者の感傷というものなのだろう。

  
  
  
  

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