国は国民のために存在するものであるが、それとは別に国の中に政治家という利益集団があると考えるのが実体に合っていて、自然である。
赤木雅子さんが提訴した情報開示請求が棄却され、佐川元理財局長に対する尋問も行わないことが決定した。
昨年赤木雅子さんは、夫赤木俊夫さんの自死に関する損害賠償請求を国と佐川元理財局長を相手に起こしたが、国に対しては形式上赤木さんが勝ったが、佐川元理財局長に対しては負けた。
損害賠償請求で赤木さんが勝ったというのは、国が負けたということではなく、赤木さんの主張をお金の問題ということにして、「欲しけりゃくれてやるからグダグダ言うな」、ということにしただけのことである。そのお金は税金であるから国の誰も損しない。
佐川元理財局長に負けたのは、公務員はその職務に関して責任を問われないことになっているからである。この理屈が分からないわけではないが、違法行為を行った場合には責任を問われるべきである。違法な行為は職務とは言えないからである。
情報公開法というものが平成11年に制定され、行政に関する文書は保管して、公開しなければならないことになった。
民主主義を標榜する以上国も制定せざるを得なかったが、しかし何より困ったのは他ならぬ国である。
情報公開などしたら国の利益が損なわれるからである。法律は制定してもその法律がまともに運用されては困る。情報公開法は骨抜きにしなければならない。
法律を骨抜きにするのは但し書きである。行政に関する法律は但し書きだらけである。
但し書きを本文にして、本文を但し書きにした方が分かりやすい。
但し書き専門の官僚がいるらしい。もちろん東大法学部卒ということになるはずである。但し書きによる保護法益が国の利益集団であることは言うまでもないことである。
赤木雅子さんの孤独な戦いに敬服するが、夫がなぜ自死しなければならなかったか、その理由を知りたいという赤木雅子さんの思いが遂げられることはないだろう。なぜならそれは国の利益を害することであるからである。
こういう話は過去にもたくさんあった。みんな泣き寝入りである。
佐川元理財局長はその後国税庁長官に就任しているが、1年も経たずに財務省を退職している。
その後民間企業に天下ったかはメディアも確認できていないようだ。
あのような人を自社の顧問に迎えるわけにはいかない、という経営者が多いらしい。
佐川氏も気の毒である。そして安倍元首相は非業の死を遂げた。これで幕が閉じたかは当事者の気持ちである。
最近国は何か特定の方向に向かっているような気がする。
やはりその原因はウクライナ侵攻であり、台湾有事にある。
あり得ないと思っていたことが起きてしまった。そうであれば軍備拡張は有無を言わせずやらねばならないことになる。
民主主義の問題ではない。国の存亡にかかわることだ。議論している暇などない、ということが社会に通りやすくなった。
日本人とは何なのか、ということは幾多の学者や文人が著してきたことであるが、正直なところ勉強不足で良く分からない。
判決は確定するものであるが、日本人論は確定しているのだろうか。
いつの時代を日本人の典型と言うのだろう。大河ドラマは相変わらず戦国から徳川家康までである。他の時代や登場人物ではドラマにならないらしい。
日本人の意識に影響を与えた時代はいつなのか。しかしそもそも日本人の意識というものがはっきりしてしない。だから「日本人とは何なのか」を考えるのは難しい。
時代小説における日本人論は、戦いにおける身の処し方である。戦後の経済戦争においては会社経営者には役に立ったのであろう。
260年続いた徳川の時代は日本人にどんな影響を与えたのだろうか。
明治維新は徳川に不満を持つ武士の反乱であった。
いつの時代もこの国の歴史には民衆が登場しない。民衆が社会を変革した歴史がない。
ちょんまげを捨て、ワルツを踊れば西欧人と同じになると考えた国である。
考えが深かったのか浅かったのか。これに対する論評を見たことがない。
日本は恥の文化と言われるが、これを恥と感じないのであれば恥の文化ではなく「恥知らずの文化」である。
富国強兵をして、大国相手に戦争をして、コテンパンにやられて国土は焦土と化し、いっときは国民の頑張りで世界第2位の経済大国になったが、浮かれているうち凋落の坂を駆け降りることになった。
難しいことを考えても持て余すだけであるが、先日こんな記事があった。
ある女性が交通事故を起こしてしまった。
前方を走るオートバイに追突して若い男性が重傷を負った。
過失運転致死傷で起訴されたが、オートバイが急に左車線から侵入してきて追突が避けられなかったことを主張した。
幸いそれを目撃していた証人がいて彼女は無罪となった。
しかし警察は免許取り消しを撤回しない。裁判で無罪になったというのに警察は免許を返さない。
彼女はそのため免許取り消し無効の訴えを提訴しなければならなくなった。
私がここに書く国の利益集団というのは経済的利益に関することだけではなく、大きな政治集団だけのことでもない。
警察や地方行政のような市民と関わる末端の組織の都合というものを含めてのことである。そのことの意味の方が大きい。
警察が免許取り消しを撤回しないのはそれをしたら当初の警察の捜査が間違っていたことになる。それを認めたくないから免許を返さない。警察の都合だけがまかり通っている。
日本の社会が問題にしなければいけないのは、まさにこの警察が行ったことなのである。
権力を与えられたものがその権力を正しく使わない。自分たちの都合とか権威とか威信とかそんなことにしか関心がない。そのために権力を乱用している。警察だけのことではない。
市役所の介護保険の一担当者までが自分たちの都合をまず優先することが問題なのである。(了)
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