家内が画材を買いに行く店が閉店となる。大型商業ビルのテナントであるが、そのビルが来年早々に取り壊しになるからである。
我が町では、かつては食料品から貴金属までとうたった華やかな大型スーパーがすでに閉店にし、それに次ぐ大型商業ビルの閉鎖ということで、住民が日常の買い物に困る事態になっている。
食料品専門の店舗は何件かあるが、商品価格が上がったと近所の主婦は言う。
閉店した大型スーパーがプライスリーダーであったことから、特に駅に近い店などは人の弱みにつけこんで、ということをしているようである。
買い物難民と言っては、電車に乗れば商業施設は他にあるわけだから大げさな言い方ということになるが、しかし気軽に歩いて買い物することが日常の買い物なのだから、そういうことからすれば買い物難民である。
若い人や車のある人はいいが、高齢者には大きな負担である。
いつも「地域の皆様と共に歩む」、などとチラシに掲載していた大型スーパーは、何年か後にマンションになる。地域のことなど何も考えていなかった。
ネットで買えばいいのであろうが、若い人には便利で安く買えるものだとしても、高齢者にはなんとなく複雑で面倒という気がある。私など登録の手続きだけで嫌になってしまった。
ネットも、他に競争相手がいなくなれば扱う商品は高くなるのではないだろうか。高いか安いかは比較あってのことである。何事も独占となれば値段は高い。
ガソリン販売が、セルフ販売と従来通りの販売とが併存していた時、セルフ販売は何円か安かった。いまガソリンスタンドのほぼ全部がセルフ販売となって、安いのか高いのか分からない。
何年か前ウナギが不足し、うな重は一気に高くなった。3,000円のうな重の松が5,000円近くになった。現在もうなぎは不足しているのかはっきりしないが、うな重が安くなるという話は聞かない。安くするということは考えてもいないようだ。便乗値上げは便乗したままである。
商売は人助けという言い方があるが、儲けた後に言うことで、人など助けていたら儲からない。多少儲けた私が言うのだから間違いない。
病院での「患者様」という言葉がどうもおかしい。この言葉を初めて聞いたのは15年ほど前、脊髄症のためある国立病院に行ったときのことである。
書くべき書類に患者様という言葉が用いられ、事務員などが患者様と患者を呼ぶ。どうしたことなのだろうかとあっけに取られていたことがある。
厚生省の通達で、患者は患者さんではなく患者様と呼ぶのがふさわしい、ということになったらしい。経営コンサルタントがこの言葉を勧めたという話もある。
患者が来なければ病院は成り立たないから、患者がお客様であることは間違いのないことであるが、しかしそうかと言って患者を患者様としては病院の権威が保てない。医療裁判において不利になってしまうだろう。
最近では患者様という言い方をやめる病院が多くなったという。
厚生省が何を考えて患者様とする通達を出したのか、いまだに不明のようである。
昨年入院して患者様と呼ばれたことはあったが、患者様と扱われたことは全くなかった。
特に国立病院の看護師さんたちの対応はひどいものであった。手を差し伸べるという行動を一切しない。食事においては箸が付いていない。
いくらホスピタリティがどうのこうのと言ったって、そこまですることはないだろうと思ったものである。しかし黙っていても患者が来る病院はそういうことになる。
サービスとはタダであると思っていたから、レストランの「サービス料10%」という明細を初めて見たときは驚いた。
何のサービスをしたというのだろうか。注文を取り、料理を運ぶことがサービスというなら詐欺みたいなものではないか。
外国にはサービス料というものはなくチップだけだそうである。
日本におけるサービス料というものはチップに代わるものであるらしいが、サービス料が従業員に還元されることはないという。
なんの正当な根拠がないのにサービス料がまかり通っている。
どこもかしこも黙っていても客は来るというところはサービスが悪い。サービスが悪いだけでなくサービスを偽装しているところもある。
店舗が縮小し、大型商業施設というものが各地にできている。時代がそうさせているのであろうから、いい方向に社会は向かっていると考えるべきかもしれない。
時代が変われば時代遅れは常に存在する。しかし残念なことに時代遅れに配慮した時代というものはない。(了)
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