8月15日が近いからか、テレビの番組に戦争関連の報道を見かける。
私は戦争についての体験は全くないから、本や映画、大人たちから聞いた話だけが私にとっての戦争である。
昨日のTBS・BSの報道番組は、軍国教育が子供たちに与えた影響について特集していた。
特別に大きな特集番組ということではなく、軍国教育が如何に少年少女たちを戦争賛美に駆り立てていったのかを、コンパクトにまとめてあった。
朝礼での校長先生と思われる人の戦争賛美の訓示、竹槍などによる軍事訓練、沖縄戦でゲリラ戦を行った少年たち、通信隊に憧れる少女たち。
思考が一つしかなかった時代、戦争に目を輝かせる少年たちの顔を見ると、間違った教育とは言えないような気にさせられる。
しかしあの顔は北朝鮮の若者たちを思い起こさせる。
玉音放送によって戦争は終わることになったが、あの放送内容は国民に理解されたのだろうか。
あの戦争は、「愚かな戦争」ということになっているが、勝ち目のない戦争をしたから愚かなのか、軍国主義の考えが愚かであったのか。
8月15日を機に何人かの軍人が自決している。
ポツダム宣言受諾に関し、宮城事件と呼ばれる軍部のクーデター未遂事件において、阿南陸軍大臣は切腹して亡くなっている。
「特攻の産みの親」と呼ばれる大西瀧治郎中将は、玉音放送の翌日、同じく割腹して果てた。
特攻隊員に、「おまえたちだけを死なせはしない」と言った指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいないという。
腸が飛び出し、あふれる血の中で、笑みを浮かべ、10数時間苦しみぬいた後に息絶えたという。
玉音放送の3日後の18日、今の上田市で特攻隊員の指導をしていた教官が、妻と生後27日の娘と共に自ら命を絶った。
教官の名は遊佐卯之助 准尉。妻の名は秀子。娘の名は久子。
教え子達に「自分もあとで必ず逝く。君たちだけを死なすことはしない」と語っていたという。
自らも特攻に志願したが果たせず、8月15日まで生き残ることになり、教え子達との約束に殉じたといわれている。
戦争責任は誰が負うものなのか。
8月15日を境に、天皇は神から人間になった。社会は軍国の世からデモクラシーの世になり、昨日までの先生の話は、すべて間違いということになった。
「大人が信じられなくなった」、と当時を振り返り言う人がいるが、すぐに慣れてしまったのではないか。
「大人が信じられなくなった」というのは、その当時に感じたことではなく、後の時代に、自分はリベラルであることを強調したいがための、作り話ではないか。
遊佐卯之助は次のような遺書を残している。
「皇統三千年の歴史を失ひてなんの生き永らへん。今後の建設ちょう大なる事業はあれ共 、われにその力すでになし」
これほどの人でも、皇統三千年の歴史はそれほど重たいものであったのか。
戦争責任を負わないでいい人が責任を果たす。軍国教育とはそういうものか。
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