道端やスーパーの前で年配の女性たちが立ち話に花を咲かせている姿をよく見かけるが、同じような年配の男性たちが楽しげに語りあっている姿を見ることはまずない。
同じ町に47年住んでいるが、私自身も道端で語り合うような知り合いはひとりもいない。
女性は子育てや近所付き合いを通じて地域とのつながりを保ち続けてきたから、歳をとっても自然に会話が生まれ関係が続いていく。
男性にとっての社会は、会社とか自営であれば仕事関連ということしかなく、隣り近所のことは女房に任せておけばいいことで、男が特別関心を持つべきことではなかった。
ヨーロッパの街角では年配の男性たちが楽しそうに話をしたり、カフェのテラスで談笑している姿をよく見かけたのに日本ではそんなことはない。日本の男たちはどうしていつもつまらなそうに不機嫌な顔をしているのか、と家内は言う。
日本の社会でも、男性たちがもっと気軽に語りあえる場を持たなければという話は昔からある。過去の仕事や肩書きとは無関係に、ただ「人」として繋がる場を持った方がいい、などということが言われる。
だが日本の場合は根本的なところで語りあう社会になっていない気がする。いくら男たちに語りあうべきだと言ってもそうはならないと思う。
その理由を明快に言い切ることはできないが、どうも会社における人間関係というものにあるのではないかと思う。
日本の総就業者中90%近くがサラリーマンである。会社というところは禄を食むところであるが、個性を生かすところではなく、自分のことも含め人間の狡さ汚さということを知るところである。
 日本の地域社会は会社勤めの経験者が占める。会社勤めから得たものは他人と接することの不愉快さや、警戒心ではないだろうか。
 
 そんな組織にいた人たちが集まる日本の地域社会において、男同士がなんのわだかまりもなく語りあえるような社会になるはずがない。
以前寿司屋で知り合った元国家公務員という人から「あなたはどちら側の人間ですか」といきなり訊かれたことがある。最初のあいさつ代わりに使われた言葉である。公務員という社会もゆがんた人間を作りだすようだ。
 男たちも語り合った方がいいというが、語りあったところで話題がない。
 学生時代のクラブの同期会で40数年ぶりに昔の仲間に会ったが、5分もしないで懐かしい話もネタ切れになってしまった。
 「沈黙は金」とか、「男は無駄口を叩かず背中で語る」などという言葉は、結局人間語りあう事がないということを言っているのではないだろうか。
 

  
  
  
  

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