話はもっていきよう

つぶやき

 「あそこのご主人が亡くなったそうだ」「あの人も亡くなったらしい」
 「なんか知らんけどみんな死んでしまうな」
 こんな話をするのはいつも私である。もちろん妻に対してである。

 妻はいつも黙って聞いているが時々「いつもいつも人が死んだ話ばかりして。暗い話ばかりじゃしょうがないじゃない」と文句を言うことがある。

 私としても特に暗い話をする気はないが、この年になればどうしたって知人の死というものは気になる。それを妻との会話に入れただけのことである。文句を言われる筋合いはない。

 言われなくたって人の死を話題にすることはいいことではないし、死者に失礼なことくらい知っている。かといって知ってて言わないということが大人の配慮とも思わない。どうも妻は「みんな死んでしまったな」という私の言葉が気になるらしい。

 以前現役であった頃、老人施設に出向いて入所している高齢者の本人確認、意思確認というものを行うことがたびたびあった。
 不動産売買などが有効であるにはこれらの確認が必要なのである。

 高齢者に「売りましたか」と尋ねると「売った覚えはない」と答える。
 「売る気はありませんね」と尋ねると「そんなことはない、売るよ」と答える。

 ほとんどの高齢者がそうである。質問の順番を工夫すれば話の結果はどうにでもなる。相続で問題が生ずるのはこんなことからである。

 このようなことは高齢者に特有のことではないようだ。
 人に、そこにはいない他人のことを褒めれば、「そうかなあ」、と否定的な反応が返ってくる。

 その他人をけなせば、「そうでもありませんよ」、と弁護的な反応が返ってくる。

 血圧140で、こりゃひどいですね、と自分から医者に言えば、そんなことありませんよ、と答えてくる。

 140くらいなら安心していていいですね、と訊けば、そんなことはありません、高いから要注意です、と言われる。要は聞き方である。

 ある会社の営業マンと話をしていて、「そういうことなら貴方の方から相手の人に電話をしたらいいではないですか」、と私が言うと、「こちらから電話をしてはダメなんです。立場が弱くなってしまうのです」と答える。

 こんな若い営業マンでも、こんな駆け引きをしているのか、と感心というかセコイというか、そんな気になったことがある。しかし自分から電話をしないほうがいいことは確かにある。話は自分からもっていかないほうがいい。

 知り合い同士のちょっとした会話にも話題の提供ということがある。沈黙が苦手でお人よしの人は、自分から話題を出して少しでも座を盛り上げようとする。

 しかし話題を出さず聞くだけの人は話題を提供する人の品定めをする。「あなたはいつもそんな考え方をする」と人を総括するようなことを言い出す。

 そんな時は、「自分からなにも話題を提供しないのにずるいじゃないか」、と言ってその人を批判すればいいのである。

 黙って人の話を聞く人をあまり信用してはいけない。後出しじゃんけんをする人である。

 人に意見を求めて、「それも個性ですね。いろいろな考えがあって面白いですね」などというのは失礼な話である。

 人に意見を求めたなら、自分の考えを述べるか、同調するかである。「いろいろな考えがあって面白いですね」というスタンスはそもそも存在しないのである。そういう立場不明の人間が多い。

 

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