親の直葬は親不孝

つぶやき

 墓参りは、お彼岸や祥月命日にするものであるが、昨日女房の実家の墓参と私の父母の墓参を一緒に済ませた。2つの墓地が車で30分と近いのである。

 坊さんに読経を頼むこともないので、墓の掃除をしてほんの一時で墓参というものは終わってしまう。それはいいことではないのかもしれない。

 墓誌に、父母や義父母の名を見ると、生前の思いに駆られ、あらためて共に生きた日々を思い起こす。正直なところ墓参は面倒なことであるが、亡き人を訪ねることは大切なことであると、行く度に思う。

 母も父も、姉が嫁いだ家の墓に入っているので、墓の在り方からすれば変なことになっている。

 姉は母が死んでまもなく、母が若い頃、長男の名義でなんとしても墓を建てたいという気持ちで建てた父の墓を寺に返還してしまった。
 それから全く別なところに嫁ぎ先名義の墓を建てた。

 姉は母思いであったから薄情な弟たちに任せるわけにはいかないと考えたのであろう。今は自分たち夫婦と父母が一緒に眠っている。

 父が死んだとき姉は7歳くらいであったから父の面影があるようだ。
 亭主を尻に敷いた人であったから、亭主をほっといて父母と楽しくあの世で暮らしているはずだ。

 女房の兄は一昨年亡くなったが、葬儀はいわゆる直葬であった。多分義兄の遺志だったと思うが、それにしても惨めな直葬であった。

 他人の家の軒先を借りたような、情けないほどの葬儀場の一角である。
 一人息子が手配したことであるが、下見もしたはずである。父親の遺志をということであるが、それにしても、涙が出るほど情けない葬儀であった。

 義兄は相続税の控除額をはるかに超える財産を残している。家族葬にしたところで50万もかからないのにこの息子は何を考えたのか。
 親の遺志には従ったのであろうが、自分の意志を持っていなかった。
 愚かな男ではないが、社会性が全くない。それを拒否しているようである。

 義兄は教育者であったが、自分の子供については自由放任であった。
 責めるわけではないが、義兄自身もあまり世事に詳しい人ではない。子供については全く社会教育というものをしてこなかった。息子は穏やかだが、何も気がつかない人間になってしまった。

 他人のことは言えないが、社会生活におけるルールというものはしっかりと教えなければいけないものであるし、教わらなければ判らないものである。

 私も人間関係では失敗続きの人生であったが、社会とか人とのつき合い方ということについて教わったことがない。

 初めて社会人になった会社も、悪いことでもなんでもして会社を儲けさせろ、というところであったから、社会ルールなど身につくはずがない。

 戦前の教育がいいという気は全くないが、戦後の教育は理念を持つことを避けたようである。

 しかし社会ルールというものは、歳と共に自然に身につくというものではない。
 この部分を、自由という名のもとにいい加減なものにしてしまったのが、戦後教育である。戦前教育がいいという気は全くない。

 社会ルールとは、他人を不愉快にさせず、自分も不愉快にならない、ということである。「正しい」ということではない。

 「他人と接しないことの気分の良さ」というものをこのところ感じている。
 しかし絆の大切さということが、イヤに強調されている時代でもある。
 そんなに素晴らしい絆というものが現実にあるのだろうか。

 絆とは何なのか。絆とは馬などを繋ぎとめる綱のことである。それがなぜ人間関係の言葉として使われるようになったのか。

 絆という字は糸へんに半でできている。糸は人と人を結ぶものとされている。「あの人とは、生まれた時から赤い糸で結ばれていた」

 人を結ぶ糸は半分でいいと言っているのである。
 絆は人間関係の素晴らしさを言っているものではなく、適当にしておいた方がいいということを言っているのである。(了)

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