あまり考えたくないことであるが、「親が違う」ということがある。自分の子だと思っていたらDNA鑑定の結果父親は別人、という話はよくあるが、その親が違うということではない。子供の出来の良さに関して、親が違うということである。
何事もそうであるが、物事は経験してみないと分からない。しかし頭の良さというものは経験したくてもできるものではない。私のような頭の悪い者には、頭のいい世界は永遠の未知である。
娘方の孫は運よく有名私大の付属高校に合格し、今年は早くも3年生となり、来年は大学生となる。大学の看板学部に進学できるかどうかは高校時代の成績によるが、成績が芳しくなければ留年ということもあるらしい。
娘と孫は5年程前、夫の仕事の関係から3年間イギリスで暮らしたことがある。孫はちょうど中学生になる歳であったので、中学時代は現地の日本人学校ということになった。
昔と違い電話代を気にすることなく、家内と娘は連絡を取り合い、近況を知らせる写真もしょっちゅう送られていた。
その時の話であるが、日本人学校に通う生徒たちは優秀な生徒が多かったが、なにより驚いたのは親の学歴であったという。東大、京大、お茶大、東女などという大学名が当たり前のように出てきたらしい。やはり海外に赴任するような一流企業の社員はたいしたものである。
孫が大学付属高校に進学してまた驚いたのは、生徒たちが全員優秀であることはもちろんだが、やはりその兄弟や親の学歴である。
兄や姉は東大か東工大。ちょっと兄達よりは成績が悪かったという兄弟でも早稲田か慶応である。
親たちの学歴も言うまでもなく東大。それも両親ともである。家では英語やフランス語で会話をするという。
こんな話が家内を通じて伝わってくる。
優秀な親が優秀な子を育てる、という話はだいぶ前から聞くが、現実にこのような話を耳にすると、人間の格差というものを思い知らされる。
頭がいいからといって幸せになれるものでもない、ということは言えるが、頭がよくて幸せな人生を送ることができればそれに越したことはない。
孫はいい学部に入れるだろうかと家内に聞くと、いい学部に入るには学年のトップクラスにいなければだめだ、という娘の話の受け売りをする。親が違うというのである。確かに親が違うことは間違いない。
子の違いは親の違いである。親の違いは祖父の違いでもあった。あまり孫の進学について口を出すと、わが身の災いになることに気がついた。(了)
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