「見果てぬ夢」とは最後まで見ることのできなかった夢を言う。だから「最後まで見たかったのに残念だ」という意味になる。
しかし「見果てぬ夢」には、「見果てぬ夢を追う」「見果てぬ夢を探し求める」ということがある。
国語の専門家は「見果てぬ」は、「最後まで見ることができない」という意味だから、見果てぬ夢を「追う」とか「探し求める」というのはあり得ない、誤った語法であると指摘する。
中島みゆきさんの歌に「ヘッドライト・テールライト」というのがある。NHKのテレビ番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」のエンディングテーマであったらしい。
この曲を初め曲聴いたのは、不愉快なことに物真似芸人コロッケのディナーショーであった。金を返せと言いたくなるほどひどいショーであった。
コロッケのことは忘れることにして、この歌の3番に「行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢」という歌詞がある。
専門家の説によれば「見果てぬ夢」は咲くことがないのだから、この歌詞は誤用ということになる。
しかし、「まだ咲かぬ見果てぬ夢」という言葉に人は共感する。中島みゆきさんは間違っているわけではない。言葉は人の気持ちに馴染んでこそのもの。
「見果てぬ夢」とは、叶わぬと知りつつ追い求めることであり、叶わぬ夢を懐かしく、愛しむものでもある。これが誤りであったとしても、こういう見果てぬ夢があってもいい。
テレビ番組「プロジェクトX」は人々の夢にまつわる内容が多かった。その夢を実現するために、名もなき技術者や市井の人々の努力があった。
同じ中島みゆきさんが作詞作曲したオープニングテーマ「地上の星」はそうした人たちを歌ったものである。≪星は空に輝くものばかりではない。地上にも忘れ去られた星がある≫
その忘れられた人たちが成し遂げた「見果てぬ夢」。「見果てぬ夢」は実現不可能なことを言う言葉ではなく、成し遂げることを意味するようになった。
人生、行く先を照らすのはヘッドライト、来た道を照らすのはテールライト。旅はまだ終わらない、と歌はある。
我が人生に行く先を照らすヘッドライトは必要なくなったが、テールライトが照らす話が来た道はどんなものだったのだろうか。
さほど夢のある人生でもなかったし、まだ咲かぬ見果てぬ夢が行く先を照らしたこともない。見果てぬ夢を追うこともなく、持つこともなく過ぎてしまった
「でもお前だってよくやってきたよ」と母は言ってくれるかもしれない。親とは有り難いものである。(了)
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