子供の頃住んでいた町の駅前広場で、露天商というのか香具師というのか、そういう人達が通行人を集めて、いわゆる「いかがわしい物」を売っていた。昭和30年前後ではないだろうか。
駅前広場と言っても現代のようなしゃれた広場ではなく、舗装もされていない単なる空き地である。
その露天商が売っている、多分配線用の銅線と思われる20センチくらいの針金が欲しかった。
その針金に露天商が手をかざすと、10円玉が次から次と出てくるのである。
駄菓子屋に行けば何でも買える10円が、いくらでも出てくる。
子供にはそれが手品でインチキなものであることに気がつかなかった。
ガマの油売りの形を変えたものであろうか、毒ヘビが入っているという布袋を地面において、「この線からこっちに来るとあぶないよ」などと言って客を集め、ヘビに腕を噛ませることを見世物とする薬売りもいた。
結局、ヘビが入っているという袋の紐がほどかれることはなく、香具師と言うべき人なのか、その薬売りは包丁で自分の腕を切り、血がしたたり落ちるのを見物人に見せて、血止めに効くという薬を売りつける。
買っている人はあまりいなかったようだが、同じ場所でなんども見たことがある。
深く切りすぎてしまって、「誰か血止め薬を持っていないか」とあわてて見物人に尋ねる話は落語のオチである。
私が住んでいた町から浅草は電車で2駅だが、あまり行った記憶がない。
家から2,3分くらいのところに江東楽天地という映画街があり、浅草まで行く必要がなかったのかもしれないが、母が映画を見に行くということはなかったように思う。
しかし、当時浅草と言えば都内最大の娯楽地であり、母も「浅草に行けたらいいね」というようなことを言っていた。
何年生の頃だったか浅草に行ったことがあるらしい。あるらしいというのは浅草のような景色を覚えているからである。
観音様を覚えているのではなく、見世物小屋というところである。
女の人が、呼び込みをする男の隣で着ている着物を脱ぎ始め、胸を両手で押さえながら、ゆらりゆらりと行ったり来たりする。
呼び込みの男は「世にも不思議な○○女でござい」とか言って興味を煽る。要はストリップである。小屋の中まで入った記憶はない。
当時の見世物には、肉体芸、異形や珍獣奇鳥のショー、軽業、人形芝居、ろくろ首、居合抜、大道講釈、のぞきからくりなど、実に300種以上もの雑芸が披露されていたらしい。
長い前口上となった。今までは前口上であったのである。では本題は何かというと、テレビに出てくる不愉快極まりないタレントたちである。
テレビはなるべく見ないことにしているが、彼らはテレビを起動して、まだリモコンが使えないほんのわずかな隙間にも現れる。例えは悪いがゴキブリみたいなものである。
名前を出したい衝動に駆られるが、そんなことで大人げないと言われるのも不愉快である。
どうしてあんな連中がテレビに出て、あるいはテレビに出さして、分かってもいないことをしたり顔でしゃべり、しゃべらせたりするのだろうか。
あるプロ野球出身のタレントの、コメントなるものを聞いていて、「彼らは大道商人や見世物小屋と同じではないか」、と気がついた。
しかしそうだすると、大道商人や見世物小屋に失礼ではないかいうことに思い至る。彼らは雑芸とはいえ立派な芸を持っている。
あのテレビタレントたちは雑芸すら身につけず、思いつくままいい加減なことをしゃべっているだけである。
テレビに出るのだからしっかり知識を身に着けて、しかるべきことを話すべきだ、という意識は全く無いように見える。
テレビは現代の、テレビ局や広告代理店を興行主とする見世物小屋ではないか。
まともなことを言うタレントは必要がない。つまり商品としての価値がない。呆れられることも一つの価値のようである。
いいかげんでもなんでもいいから話題になればいい。
見世物小屋では、腹を立てても、呆れても仕方がない。
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