補聴器の試用期間

つぶやき

 きのうは補聴器調整日であった。試用を始めて4週間なる。テレビのボリューム数字も5ポイントほど少なくなった。今回の調整においても中級レベルであるという。あまり急に聞こえすぎると脳が混乱するらしい。
 来月早々医師の診断がある。その時に医師から補聴器を購入するかどうか訊かれることになるという補聴器屋さんの話である。

 高齢者を数に入れないでも難聴者は全国に600万人以上もいるというが、そのうち実際に補聴器を使っている人は1割にも満たないと言われている。
 以前の補聴器の性能や価格のせいかもしれないが、補聴器=障害者・高齢者というイメージが根強いらしい。
 最近の多くの若い人はヘッドフォンをつけて街中を歩いているから、それと似たようなファッショナブルなものを作れば補聴器もより普及するのではないだろうか。

 メガネの日常的な普及と補聴器を同列に考えることはやはり出来ないことある。前述の補聴器イコール障害者という認識もあるだろうし、軽い難聴であれば特に補聴器をつけるまでのこともないという気持ちある。
 補聴器業界はそれほど市場規模が大きくないにも関わらず安定した商売をすることができていたと言われている。その大きな要因は耳鼻咽喉科医との提携による顧客の獲得と定価販売だとされている。値引きをしないのである。

 言ってみれば補聴器の体験というのは業者のデモンストレーションであることは間違いのないことである。
 医者がお膳立てをし、業者がそれなりに親切に対応すれば、黙っていたって信頼感は生じる。購入するときはこの業者から買おうという気になるのが人情である。しかし、そうするのもなんとなく仕掛けに乗せられたようで面白くない。さりとて医者に難聴を告げられ、そのままにしておくというのも落ち着かない。ハッキリと聞き取れるようになりたいと思えば補聴器を買わざるを得ないことになる。

 しかし補聴器は高い。高すぎると言ってもいいのではないだろうか。今の値段が当たり前のように業者は言うがそんなはずはない。やはり補聴器の普及が進んでいないことが原因であろう。もっと利用者が増えれば安くなるはずである。

団塊の世代が大挙して後期高齢者となれば需要も高まる。すでにそれを見越してかメガネの量販店が補聴器販売始めている。
 補聴器もデジタル化によって調整も簡単にできるようになっているらしい。調整技術や購入後のアフターサービスのために価格が高いという理由も、説得力に乏しくなるはずである。耐用年数5年くらいしかなく両耳で50万だ100万だというのは、いくら精密機器だと言ってもどう見ても高すぎる。

 音楽家で耳が不自由となれば気の毒なことである。べートーヴェンが真っ先に思い浮かぶがスメタナもそうであった。全聾を偽った佐村河内とかいうインチキ作曲家もいた。
 補聴器屋の店長さんの話によればベートーヴェンは現代の補聴器をつけても聞こえなかったほど病状は悪かったらしい。
 余談だが、以前創価学会の池田大作氏が、「ベートーヴェンは目が見えなかった」、と述べていた。ベートーヴェンの偉大さを称賛した講演を聖教新聞が掲載したものである。しかし以後訂正記事も何もなかった。創価学会の滅茶苦茶な躍進の秘密はこういうところにたと思う。 

 調整後の補聴器で聞き慣れたCDを聞いてみることにした。なんとなく明るく聞こえる。高音が聞き取りやすくなったということであろう。弦楽器のひっかく感じがよく出ている。
 ショパンのマズルカ集を聞いてみた。いつも聞くミケランジェリのCDである。ピアノが鉄琴のように聞こえる。

 次にショパンのピアノ曲をオーケストラ用にアレンジした曲を聞いてみた。ショパンオーケストラにアレンジしてはいけないことに初めて気がついた。ショパンはピアノで聞かなければいけない。曲目は「風の精」であるが、補聴器のせいで音楽の深いところが判った。買わざるを得ないと思う。(了)

コメント

  1. noini より:

    とても参考になりました。そうですか。音楽も聴けるのですか。私はすっかりつまらなくなって、ラジオもCDプレイヤーも片付けてしまいました。お医者さんにまた行くのですか。それは面倒ですね。お医者さんでは高いからいいというものではない、7万円だっていいとは限らないと予想外のことを言っていました。70万の聞き違いではありません。

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