袴田さん無罪確定。逮捕から58年。死刑判決から56年。
検事総長は、「刑事司法の一翼を担う検察として申し訳なく思う」と述べた。
誰に対して申し訳ないのかはっきりしない。
そのうえで、無罪判決そのものについては「到底承服できない」とも述べている。
本当は犯人だが、歳もとっているからこの辺で勘弁する、ということである。最高裁で無罪判決が出たとしても同じようなことを言うのだろうか。
検察の過ちを認めたくないから控訴放棄としたことは子供にも分かる。
「立証できたが、袴田さんの不安定な状況が継続することに思いを致した」、と言う。これを無責任と言う。
「ボクサーくずれがやったらしい」ということから拘束は始まったようだ。
昔から「なんとかくずれ」という言葉は警察官がよく使った言葉である。静岡県警は何か謝罪を発表したのだろうか。
検察くずれの弁護士がよくテレビに出て、いい加減なことを言っているが、やはりくずれてはいけない。
しかし普通4人も人を殺して自分は無罪だと主張できるだろうか。良心の呵責でなくても、夢に出てきて白状してしまうのではないだろうか。
半世紀以上拘束されて、無罪と言われてもどうしようもない。袴田さんはこの裁判を理解できるのだろうか。
立証もできずに、精神が不安定になるまで袴田さんを被告人として拘束してきた検察、警察の罪は重い。しかも彼らは反省しない。
冤罪はありえない。検察に間違いはない。検察の権威は守らねばならない。
間違いが生じて当たり前の体質である。
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