蕎麦と超高層ビルの建て替え

つぶやき

 昨日久しぶりに秩父の蕎麦屋さんに行った。このところいろんな所の蕎麦屋さんを訪ねているがはずれがない。
 秩父の蕎麦屋さんは、2年ほど前から麺が細くなったりして味が変わってしまった。それ以来あまり行かなくなった。

 味は昔に戻っていなかったが、しかし来客が絶えることがない。
 新しい客がついて繁盛しているように見える。昔の客の未練など構ってられない、という感じであった。

 車の中で、中野サンプラザの建て替え工事に関するニュースを見た。築50年だそうである。ここのホールで音楽を聞いたことはないが、なぜか懐かしい。

 しかし鉄骨鉄筋コンクリートの建物が50年で建て替えとはどうもしっくりこない。もったいないという気持ちが先に来てしまう。

 しかし経済的には建て替えがいいということなのであろう。浜松町の貿易センタービルも建て替えが始まったらしい。

 超高層ビルには建て替えはないものと思っていたがそんなことはないようだ。新宿の超高層ビルも早いものでは50年を越えているはずである。

 ビルの建て替えなどで気がついたことがある。日本の街には旧市街地というものがないのではないか。ヨーロッパの街並みをテレビで見ていると旧市街地という表記がある。まさに旧い街並みである。

 日本にも旧市街地というのはあるのだろうが、旧と新が混在していて、旧はそのままにして新しい街を作るということではないような気がする。

 日本地図を見ると日本の国土は本当に山だらけである。平地はほんのわずかしかない。同じくらいの面積のイギリスはあまり山がないらしい。

 旧市街地とは別に新しい街をつくるという発想を、国土の広さからして日本人は持てなかったのかもしれない。

 こういうことを考えていくと、たどり着く先は日本人の伝統観ということになる。
 日本人は伝統が好きなようだが、何を指しての伝統なのかがはっきりしない。

 伝統というからには自分の中に伝統なるものが、まさに息づいていてのこそのものだと思うが、なにか息づいているものはあるだろうか。

 京都や奈良の寺院や仏像。豪華な絹織物の和服。数えだしたらきりがないほど伝統なるものはあるが、それらが人の気持ちの中で伝統になっているだろうか。

 音楽の父と言われたバッハの音楽、ベートーベンの第九交響曲でさえ初演後は長年忘れ去られていた。

 バッハこそ真の音楽。第九交響曲は人間性の賛歌、と今では当然のように言うが、そんなものであったのである。

 日本の伝統というのは為政者が言うことであって、庶民は見たことも聞いたことも触ったこともないものに伝統を感じるはずはない。

 人間には思い出が必要だということになっているが、50年で超高層ビルを建て替えるとなると、人が生きている間に思い出を失うことになってしまう。

 私は貿易センタービルにも霞が関ビルにも思い出がある。若いころ結婚する前に女房とここのレストランで何度か食事をした。

 せめて生きている間は建て替えはやめてほしい。高齢者には、若いころの思い出の作り直しはできないのである。(了)

コメント

タイトルとURLをコピーしました