この7月に二人の元野球選手が若くして亡くなっている。
横田慎太郎さんは28歳の若さで脳腫瘍により亡くなられた。阪神の外野手だったそうだ。
三浦貴さんは巨人のピッチャーだったそうだが、大腸がんのため45歳で亡くなられている。
現役時代のおふたりを知らないので、野球選手が亡くなったというより、そんなに若くして亡くなったのか、という思いが強い。
横田さんは発病から5年。三浦さんは1年で亡くなられている。医学が進歩したという現代、若い人の死を知るたびに、なんとかできなかったのかと思う。
このブログをほぼ書き終わって気が付いたことだが、昨日の毎日新聞の夕刊トップに、「忘れ得ぬ奇跡のバックホーム」と題して横田さんのことが掲載されてあった。
脳腫瘍の後遺症が残る体で引退試合に出場した。ボールが何重にも見える状態でセンターからのバックホームはレザービームのようにキャッチャーめがけて一直線。ランナーはアウト。同僚にもファンにも愛された人であったらしい。
しかしいくら何でも若すぎる死である。がんは細胞の病気と理解しているから、年寄りの古くなった細胞に発症するものと思っていたが、小児がんということもある。がんは運命と思わなければならないのだろうか。
寛解という言葉を最近よく目にする。がんなどの病気において使われるらしい。
昔から使われていた言葉なのであろうが、自分ががんになったからよく目にする。
寛解。どういう意味なのだろうか。寛と解。そもそも熟語の成り立ちすら不可解な言葉である。全快でも治癒でも完治でもない。言ってみれば訳の分からない言葉である。
横田さんも三浦さんも寛解したという。
お医者さんも、とりあえず訳の分からない言葉で説明するしかないのだろう。しかし医師の口から「かんかい」と聞いたら患者は「完快」と理解するのではないか。ひどい言葉である。
90歳を過ぎた高齢者の死はお祝いのように言われる。そこまで生きたのだから大往生だ、めでたい。残された者はそういうことで納得できる。
母の郷里では夜が明けるまで宴会のように酒を飲む。葬式はタダで酒が飲めると楽しみにしている酒好きが近所にはたくさんいた。
幼い我が子を失うことは人生で一番つらいことかもしれない。
昔知り合った弁護士の娘さんが脳腫瘍であった。3歳くらいの時だったのであろう。病院のベッドに横たわり、時計の振り子のように顔を左右に動かしていた。とても可愛い子であった。その幼い顔に放射線の目印が何か所も描かれていた。
小学校に上がることなく何年か後に亡くなられたが、葬儀の時の父親の顔がすごかった。慟哭というのだろうか。親は子供の火葬場には行かない。娘さんを見送る父親の姿を正視できず一緒に泣いた。
3年前に姉が亡くなったが、母の死よりもいつまでも心を打つ。幼いころの思い出はほとんどないが姉と弟。自分でも知らないうちに姉の思いを受けていたのかもしれない。
義兄は昨年8月に亡くなった。4年前に奥さんを肺がんで亡くし、大きな家に独り住まいをしていたが、すべてを処分して息子の暮らす松本の地を終の棲家とした。
しかしやはりがんに襲われ、信州の山も松本の町も楽しむことなく逝ってしまった。
時間だけは長い付き合いであったが、親しく話をする機会はあまりなかった。
しかし同時代を生きた人の死は寂しさを感じさせるものがある。
「生は暗く死もまた暗い」そうかもしれないが、生は明るいものにしたい。(了)
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