自 殺 幇 助

つぶやき

 市川猿之助さんが昨日逮捕された。自殺幇助ということらしい。

 逮捕に関して歌舞伎座周辺でインタビューを受けたご婦人たちは口をそろえ「ファンだったのに残念です。信じられません」と答えていた。

 どういう意味を込めての言葉なのか分からないが、ファンと言うならばなにより「悪いことをするような人ではありません。両親のことを思ってしたことでしょう」と言うべきである。

 自殺幇助は犯罪とされている。しかし自殺は犯罪ではない。自殺罪という罪はない。

 自殺幇助罪は自殺に関連した罪ではなく、殺人罪に関連した罪である。

 殺人罪は「人を殺したる」ことである。したがって自殺教唆、自殺幇助、同意殺人もすべて「人を殺したる」という行為に該当することとして条文が設けられている。

 ただ本人が死を望んでいるということから、殺人罪より罪を軽くする、ということが定められていることである。

 刑法の考え方がそういうことだとしても、しかし自殺が罰せられないのに自殺を助けた人が罰せられるというのは変な話だ、と言うことには十分な道理がある。

 刑法が掲げる罪が重い順に並べてあるとすれば第1位は内乱の罪である。(内乱罪は第2章であるが第1章が削除されているから実質第1章である)警官にたてついただけでも成立する公務執行妨害罪は第5位。

 それに対して殺人罪は第22位、窃盗・強盗は第36位である。
 社会に対する罪をより重くするのは当然と言えば当然かもしれないが、しかしはっきり言えば刑法は政治体制の保持をその本質に持つ法律である。個人の生命や財産は「ついで」という印象はぬぐえない。

 自殺が罰せられないのに自殺を助けた人が罰せられるということについては判例や学説などによって説明がされている。しかし罰せられない自殺を助けた人が罰せられことについては、どう説明したって人が納得できるものではない。

 それを説明できるのは「お上のおひざ元での勝手なふるまい、許すことはできぬ、遠島を申し付ける」と言う権威を笠に着たお奉行様の言い渡しだけである。

 殺人罪になるか自殺幇助になるかは、本人が自殺を望んでいたかどうかにかかっている。しかし本人が死んでしまっていては確認しようもない。

 警察は状況証拠を探すしかない。別れたがっていた。多額の生命保険をかけていた。よくケンカをしていた。監視カメラがあったとしても気持ちの中までは分からない。

 猿之助さんが睡眠薬のふたを開けたとしたら自殺幇助になる。睡眠薬を両親の口元にもっていったら殺人罪になる。

 猿之助さんは両親の顔にビニール袋をかぶせたという報道がある。苦しむことなく楽に死なせてやりたいという気持ちだったのかもしれないが、警察には自殺幇助とも殺人とも解釈できる事実である。両親の息がある時にビニールをかぶせたら殺人になる。

 仲の悪い親子だったということはないらしい。猿之助さんと両親との間にどんな事情があったのか。

 警察はこの歌舞伎役者の幕間を読み取れるだけの鑑賞力があるだろうか。警察の出る幕ではないことを祈る。 (了)

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