ブログに重複した記述はしたくないと思っているが、仕事をやめ、これからの人生は余生だと思うと、必然書くことは限られてくる。
歳をとったわが身を嘆いても仕方のないことだから、楽観的に物事をとらえようとするが、その楽観が気持ちの負担になる。
高齢者のブログはそんな気持ちの揺れの中で、明るく暗く、楽しくつらいものになる。
他人様のブログに、もっと暗くつらいブログがあってもいいと思うが、触れないのが大人の見識ということになっている。
何度が歩行困難についてこのブログに書いてきたが、カテゴリーとして掲載されていない。歩行困難と題したことがなかったからかもしれない。
2本足で歩くということは、とんでもない体の機能やバランスが備わってのものであることにいまさらながら気がつく。
何ごともなければ人はいつまでも歩くことができるが、どこかで故障してしまうと回復しないものなのかもしれない。
天下の名医と言われる医師に、頸椎症性脊髄症、脊柱管狭窄症の手術をお願いしたが結果はよくない。改善どころか悪くなっている。
やはり傷めた神経の再生は無理なようである。幸い歩行の機能は残っているようだから、日常の生活に不便はないが旅行ができそうもない。
女房に言わせれば空港のロビーを歩ききれないのではないか、と言う。
昨日テレビを見ていて「出雲大社に行ってみたい」と言ったら、あの参道を歩いて本殿までたどり着けないのではないか、と言う。
自信を無くすことばかりであるが、女房が日本中を旅行してきた人であることは良く分かった。
公務員の定年は延長されることになったらしいが、60歳の定年で90歳近くまで生きるとしたら、気の遠くなるような余生である。
60歳を過ぎた知り合いが再就職を目指したが、全く職がなかったという話を聞く。今はチラシ配りをして月3万円ほどの収入があるらしい。こういう現実は結構あるのではないだろうか。
やめてほしい長寿番組という記事があった。
サンデーモーニング、新婚さんいらっしゃい、NHKのど自慢、踊るさんま御殿、などが上位にランクされている。笑点やサザエさんも10位以内に入っている。
1位は徹子の部屋である。そうかもしれないなと思う。
「アッコにおまかせ」などという番組が1位であってもいいと思うが、それでは意外性に欠けるらしい。
私には嫌いな芸能人がたくさんいるが、和田アキ子さんという人はどうしようもなくダメである。
日曜日、ニュースが終わると私の嫌いな「のど自慢」が始まるのですぐにチャンネルを変えるが、すると和田アキ子さんが出てくる。
あわててチャンネルを変えると今度はタケシが出てくる。この人も私はダメである。
あわててテレビを消そうとスイッチを押すと間違えてBSボタンを押している。
結局テレビショッピングになって消すことになる。
しかし和田アキ子さんも痛々しい年齢になった。そろそろ引退されては思うが、まだ腕っぷしは強そうだから降ろすこともできないのかもしれない。
あまり考えたくないことであるが、高齢者施設における人間関係とか男女の色恋沙汰のトラブルが多いという話を聞く。
自分には高齢者施設など関係ないものと思っているが、高齢者施設における人間関係などというものは、場合によっては全く救いがたいほどの様相を呈するであろうことは容易に想像できる。
以前介護施設を経営している人から、いい施設に入るなら一人1億円が必要という話を聞いたことがある。
多分そういうことであろうと思う。金がなければ大勢の後期高齢者の一人であるが、1億の金を積めばちゃんと名前で呼ばれるのであろう。
地獄の沙汰も金次第だが、地獄に行く前にも金が必要なのが人生である。貯めておきゃよかったと思うが、貯められる額ではない。
「自然と人生」という本があったが、「性格と人生」という本があってもいい。
人生は性格によって様々である。人生は風景によって決まるのではなく、性格によって決まるものである。
性格は入れ替えることができないから、他の性格を理解することができないことになる。
しかし他の性格によって救われたり、目からうろこが落ちたりする。性格の違いがうまくかみ合っていれば夫婦も離婚しないで済む。
思い返してみると自分の人生を知識とか思慮で決めてきたことは一つもないことに気がついた。すべて性格のままである。(了)
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