自分の居場所を確保する

つぶやき

 人は耐えがたいほどの孤独を経験しなければ人に優しくできないし、人との付き合いもうまくいかない、というようなことを何かの本で読んだことがある。

 若い頃はそうかもしれないなと思ったものだが、私は孤独を味わったことがない。ずっと母や兄弟と一緒に暮らし、学生時代の下宿生活という経験もなく、卒業後すぐに結婚した。

 幸い妻も元気であるから話し相手に困るというようなことはなく、話し相手がいなくて寂しい思いをするという経験もしたことがない。

 こんな歳になっても親しい友人がいないということは、やはり耐えがたいほどの孤独を経験していないからだ、と思うことがあるが、もし妻が先に逝くようなことになったら、人生初めての孤独というものを感じることになる。しかしそんな孤独はなんとしても経験したくない。

 私は人づき合いがうまくない。自分でもその理由が分かっている。人間を好きと思う時より、嫌いと思う時の方が多いということである。
 そうであれば腹を割った友人などできるはずがない。

 そんな性格であるから、常連さんが集まる居酒屋とかスナックというところは若い頃から苦手であった。客同士の「親しい関係」というものがよく判らないし、○○ちゃんとか呼び合うことがどうも落ち着かない。

 「自分をさらけ出して酒を飲む」ということらしいが、さらけ出すようなものは何もないし、さらけ出すものがあったとしても、こんなところでさらけ出したくないと思う。
 
 川越のかつお節屋に行く途中、アメリカの若い女性学者の、「日本のスナック文化に迫る」というテレビ番組を見た。

 彼女は、スナックがカウンター席中心の小さな酒場であり、主に女性が経営者であることに、日本特有のものを感じたらしい。
 
 彼女が初めてスナックを訪れた際には、ママが客に対して氷の買い出しを頼んだり、客を叱ったりする場面を見て驚き、異様すら感じたようだ。このような光景は、アメリカでは絶対に見られないものだからである。

 客はママの指示に従うことに何か嬉しさを感じているようである。スナックでのサービスやコミュニケーションの取り方には、日本独自の文化が色濃く反映されていのではないかと彼女は推察したらしい。

 彼女は、「スナックは客が自分の居場所を守るために努力する場所」と解釈する。
 客は、孤独感を感じることなく居場所を確保するために、スナックという場所を訪れ、他の客とつながる努力をしている、と説明している。

 ベネディクト以来のアメリカ女性学者による日本人論ということなのか。
 「スナックは単なる飲み屋ではなく、人々が孤独を癒し、コミュニケーションを楽しむ場所であり、また、文化的な背景が色濃く反映された日本独自の社交場でもある」

 女性学者の指摘のとおりであると思う。しかし私はスナックなどで孤独を癒したり、自分の居場所を守るための努力などしたくない。
そのためにも妻に先に逝かれては困る。

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