自分さえよければいいというのは間違いではない

つぶやき

 夜中に目が覚めて、暖かい布団にくるまれていることの幸せを思う。
 「今地震は来ないでくれ。このまま寝かせてくれ」毎晩目が覚めるたび、そんなことを思う夜の寒さである。

 トルコ、ウクライナの人々、大変な苦しみ、悲しみの中にいるのであろう。安全や平和を祈る、と言ったところでなんの意味も無い。

 プーチンの演説をテレビで見た。2時間近い演説であったらしい。立ちっぱなしで演説している姿をテレビは映している。癌だとかパーキンソンだとかと言われているが、健康に問題があるようには見えない。精悍ささえ感じさせる。

 ネオナチという言葉が気になった。初めてプーチンが口にした言葉ではないが、重要といわれる年次報告演説においても使っている。何をもってウクライナをネオナチと呼ぶのか。根拠はないらしく、こじつけである、というのが学者などの一致した見解である。

 ロシアは第2次大戦において2千数百万人もの犠牲者を出したらしい。もちろんその犠牲をもたらしたものはナチスドイツである。ロシア国民にとってナチスは忘れることのできない民族の敵ということになる。

 プーチンはウクライナをネオナチと呼ぶことで、ウクライナ侵攻の正当性を訴えたつもりらしい。ゼレンスキーがネオナチなのか知らないが、やはりこじつけのように思える。

 プーチンはなにか幻想に取りつかれているようだ。前のブログでも書いたことだが、プーチンはキーフ征服までウクライナ侵略をやめることはないであろう。

 ロシアが敗者になることはないと言っているのだから、核を使用することはおり込み済みということである。アメリカもNATOも国連も、プーチンを諫めることができない。やはり核というものは恐ろしい爆弾なのだなと思う。

 人口が1000万でも10億でも国を動かしているのは1人である。ロシア、中国、北朝鮮などのことである。考えてみても、なんと言えばいいのか分からないくらいすごいことである。

 たった1人の考えで国が動く。自分に反対する者は拘束することができる。殺すこともできる。どうしてそんなことができるのであろうか。今さらながらそんなことに気がつくが、まさに権力の頂点ということはそういうことになるのであろう。

 我が日本はこれらの国に比べれば正常である。少なくとも反対者を抹殺しないことにおいて安全な国であり、権力者が国民の意志によって辞任することは健康な社会である。

 しかし権力にとって何より排除したいのは反対者である。
 このことはどんな権力でも同じである。反対者を容認する国家などあり得ない、反対者を容認したら国家運営ができないではないか、というのがロシア、中国、北朝鮮などのスタンダードである。

 彼らからすれば日本という国は異常なのである。誰もが自由という社会は、守る努力をしなければ消滅してしまう脆弱な社会でもある。

 地球温暖化、食料不足、水不足、大洪水、砂漠化など、次から次と地球規模の問題が起きている。

 世界は一体となって進んでいかなければならないと思うが、それに逆行するような動きが現れている。アメリカですら自国本位の国を目指そうとしている。

 人類の英知は地球規模にまとまることだと思うが、どうもそういうことだけではないらしい。

 この地球において、自分の国だけが生き延びることができる、ということなのだろうか。まさか、他国を滅ぼすということが、一国の政治目標になるなどということはいくらなんでもあり得ない、と思っていたが、あり得るような世界になってきた。

 かつてナチスはユダヤ民族の根絶やしを考え実行した。他民族の根絶やしということはナチスに始まったことではないらしい。ヨーロッパにおける戦争は他民族を抹殺することが目的であったようだ。平和に、のほほんと暮らしたい。(了)

コメント

  1. マルコ より:

     こんにちは。
    私は日本人としてこの国に生まれて本当に幸せだと思います。
    電気代や食料品が高くなったとはいえ生活に困窮することはないです。
    それでも、特に若い人の中に生きずらいなどという理由で自殺する人が多くいる事が残念に思います。

    マルコという名前は飼っているワンコの名前なんです。

    • 代書屋利兵衛 より:

      マルコさん こんにちは
      私も犬を飼いたいのですが、生き物は夫だけでたくさん、と妻に拒否されています。
      子供の頃犬と一緒に寝たものです。チルという雑種犬です。
      若い人が希望をもって生きていける社会でなければ思います。

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