脊髄症のその後

つぶやき

 臀部から両足太ももにかけて痛みがあり、それに歩きにくいという症状から、昨年5月に首を、11月に腰の手術をした。首は頸椎症性脊髄症、腰は腰部脊柱管狭窄症という病名になる。

 私はこの2つの病気を大分前から持っていて、特に頸椎症性脊髄症は10年前に医者から手術を勧められたがそのままにしていたという経緯がある。
その時は、手のしびれはあったが歩行困難などの重篤な症状はまだ出ていなかったこともあり、なにより説明された手術の内容が怖くなって逃げることにしたのである。

しかし悪運尽きてその歩行困難の症状が痛みとともに出てしまった。新たにかかった医師は、「原因は多分首であろう」、ということから首を手術したが改善せず、「では腰かな」、ということで半年後に腰の手術をした。

 痛みはなくなったが相変わらず歩きにくい。歩きにくい症状が術前と術後と同じものなのか違うものなのか、それが分からない。術前は痛みがひどかったので痛いから歩けないと思っていた。痛みが解消しても残る歩きにくさは加齢による筋力低下が原因なのだろうか、それとも脊髄症などの後遺症なのだろうか。歩かなければいけないと聞いているのでなるべく歩くようにしているが、それで筋力がついたとも思えない。

 整形外科などで腰や足などの手術をするとリハビリをすることになる。私の場合、首の手術をしてその病院を退院すると同時にリハビリ病院に入院した。自分で決めたことではなくそういうことになっていた。少なくとも3か月の入院は必要だと説明を受けた。

 1日1回40分のマッサージを2回受ける。病室に理学療法士というのか生活作業士というのか、入れ替わりやって来て同じようなマッサージをして帰っていく。
1週間近く経って、このリハビリには何の効果もないと思った。こんなことをやっていて効果があるはずはないと気がついたのである。
差額ベッド代は1日15,000円である。冗談じゃない。こんな治療でベッド代だけで1か月で45万円、3か月いたら135万円ではないか。

 事務長に退院を申し入れた。入院費が高いということもあるが、ここの病院のリハビリなるものに期待できないと思ったからである。こんなところにいてもしょうがない。
何人もの責任者なる人が病室にやってきて、退院はできない、法律違反になる、役所に許可をもらわなければならない、と私を説得する。専属の医師は脅し文句のようなことまで言う。

私は、ここのリハビリに効果があるとは思えないので退院します、法律に違反と言うならその根拠を説明してほしい、医療は基本的に本人の意思で決めるもの、その本人が退院したいと言っているのだから退院できないというのはありえない、明日の退院手続きが無理なら明後日には退院できるよう手配してほしい、と申し入れた。

 結局私の申し入れ通り10日ほどで退院した。今思うと退院は正解であった。リハビリに効果はないと言っているわけではない。私の場合にはやってもしょうがないということであった。言われるままにしていれば200万円くらいのベッド代を払うことになっていた。
このリハビリ病院は私が手術をした病院と同じ経営者であった。自動的にリハビリ病院に転院することになっているというのは医療上の決まり事ではなく、系列のリハビリ病院の患者を確保するためのものであった。

その退院の時、病院の人から聞いたことであるが、リハビリ病院にかかることができるのは手術などをしてから6か月くらいに限られるという。入院でも外来でも同じだという。具合が悪ければ何か月経とうと病院にかかれるというのが当たり前のことではないか。いろいろ尋ねてみたがそういうことになっているというのである。その後調べてみたらその通りであった。

 なぜリハビリに期間制限があるのか。健康保険との問題である。ストレートに言ってしまえば、健康保険を運用する側がリハビリに効果はないと言っているのである。電気治療など2年も3年も通って治療したところで気休めみたいなもので、何の医療的効果もない。リハビリ病院は年寄りの憩いの場のようなものではないか。そんなことのために保険金を支払っていては保険制度の破綻を早めるだけである、ということなのである。
年寄りの足をさすっているだけというリハビリに金は出せない。確かにそういうことも言える。そのようなことから保険の適用を受けられるのは、術後6か月(5か月かもしれない)ということになった。どこに確認しても明確な答えはくれないが、リハビリにさほど効果はないと国が認めたということではないか。

 大分前から町に整体とかマッサージ専門とかの、医療施設と言っていいのかそういう施設が多数開業している。保険でリハビリを受けることに期間制限がついたから、患者は全額自費による治療を受けざるを得ない。そういうことからそういう患者を狙って整体などの出店が続いたのではないかと思う。こう言っては悪いが便乗もあるだろう。効くか効かないか国も分からないというものでものである。私はまだ行ったことはない。行けば多分ケンカになると思う。

昔から「骨つぎ」という職業がある。医療行為のようにも見えるが医師免許は不要とされているのだから医療行為ではない。柔道の道場にこの看板をよく見かける。なぜ医師でもないのが骨つぎなどという行為ができるのか。
政治力だという話を医師から聞いたことがある。細かく書く気はない。制度論からすれば廃止すべきものを存続させるものはいつも政治力である。廃止すべきものを存続させれば票につながる。そうして存続している業種が無数にある。その業種には必ず国会議員が顧問とかになっている。

しかし年寄りが増えた。その年寄りのほとんどが歩くことに障害があるようだ。町で見かけない年寄りは歩けないから歩いていないのだ、ということであれば、今の年寄りはみんな歩くことに障害を持っていることになる。そのぐらい足の不自由な年寄りが多い。
みんな歩幅を狭く、すり足で歩いている。両手にスーパーの買い物袋を下げてそろそろと歩いている男性を見かけた。奥さんが歩けないのであろうか。ちょっとつまずいたら倒れてしまうだろう。
歩くということがこんなに難しいことであるのか、自分が経験してみてよく分かる。当たり前のことが当たり前のことでなくなる。母にもっと優しくしてあげればよかったといつも思う。

買い物難民は不便な山間部のことだけではない。何十万もの人口を擁する町にも買い物難民は生じているのではないか。冗談ごとではない。私のところでも今のところ女房が元気に歩いているから買い物に困ることはないが、2人とも歩けなくなったらどうなるのだろうか。まさに買い物難民である。
このところ、いつもは毎日歩いている近所の奥さんを見かけない。ご主人が自転車に乗って出かけている。買い物だと思うが少し気になる。

外山雄三さんが亡くなられた。加山雄三の入力ミスではない。92歳だったそうである。若いころから知っている人であるが、この人の指揮で音楽を聴いたことはほとんどない。ただ私の若いころによく耳にしたお名前である。
民謡のひえつき節を組み込んだラプソディは面白い作品であった。
どんどん時代が遠ざかっていくような気がする。(了)

コメント

タイトルとURLをコピーしました