能登半島地震から4ヵ月

つぶやき

  能登半島地震から4ヵ月。季節は冬から初夏に向かう。
 被災地では水道の復旧や仮設住宅の建設が急ピッチで進んでいるそうだがちょっと様子が違うようだ。

 過疎地で起きた大地震は建物やインフラだけでなく、人とのつながりを破壊してしまうことになる。

 川がない集落では、ほぼ唯一の作物であるコメ作りのための「ため池」管理が欠かせず、培ってきた人間関係は深い。「みんなで力を合わせなければ何一つできない厳しい集落」と被災地の人は言う。そのコミュニティーを維持できるかの正念場にある。

 仮設住宅の建設が進んでいるというが、ある被災地では集落から約6キロ離れた場所に建設しているらしい。市には集落内に建設することを要望してきたが聞き入れられなかったようだ。
 仮設入居者が集落に残る人と毎日顔を合わせるのは難しいとみられ、「集まることができなくなれば集落がすぐに廃れる」と人々は懸念する。
ネットのニュースはそんな状況を報じていた。

 日本の農村は人とのつながりで成り立っていた。
 過疎地。住民の高齢化。更なる余震の恐怖。移住の決断。復興にはつながらない。あるのは故郷への愛着。

 いつものようにうがった見方であるが、昔は国の政策を推し進めるためにダム建設にしても原発建設にしても、あるいは水俣病のような保障交渉でも、役人が乗り出して住民の分断を図ったものである。
 能登半島地震の救済においては不作為による政策が進められているような気がする。(了)

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