石原慎太郎氏は2022年89歳で亡くなられている。
文学者として、政治家として、都知事としてどうだったのか、私にはよく分からないが、自分の事しか考えない人であったという印象はある。
いつも自信満々であった。率直に言って好きになるような人ではない。
しかし、どういうわけかこのところ石原氏を思い出す。
この人がすい臓がんで余命宣告を受けた時の対応が、「狼狽」なのか、男としての「美学」だったのかはっきりしない。
しかし最晩年の姿は明らかに死に対する狼狽があった。
死に関して考えることができるうちは死はまだ遠い。そこで考えたことは死のことであるが、死そのものではない。
しかし例えば、医者から余命3ヶ月と宣告されたら、多分死について考えることはできないのではないだろうか。
死を考えるべき時に死を考えることができない。死とはそういうものなのかもしれない。
来月78才になる。老境に足を踏み入れたという気持ちでいる。これから本格的な老いに向かうのであろう。
人生老いることは知っていたが、自分が老いることに関心がなかった。
気持ちを平らに持ち続けることが結構難しい。もともと平らな気持ちの人間ではなかったが、意識して平らにしておかないと、精神衛生上よくないことに気が付いた。
人当りのいい老人というのは、他人のためではなく自分のため、ということである。
コメント