いつものようにほどよく酔っている。家内からすれば飲み過ぎということになっている。
心地よい酔いには、ペンが勝手に走るようなテーマがいい。
お鈴さんは幸せな人生を送ることができたのだろうか。
「お前は心に決めた妻だ、達者に暮らせよ」という言葉を残して死んでいく男を想って、女は生きていくことができるのか。
面倒なことを考えようということではない。酔うと映画のセリフを思い出すのである。
自分の人生にはいいセリフがなかった。そうなのだ、人生にはいいセリフがない。セリフを考えるヒマもなく生きているからだ。
映画は終わった人生を映すものである。だからいくらでもいいセリフを残すことができる。人が映画に惹かれるのは、そのセリフに自らを投影するからだ。
吉良邸討ち入りのためには吉良邸の屋敷図面が必要。吉良邸出入りの大工の娘は岡野金右衛門に惚れている。それを利用すれば造作なく手に入れることができる、と仲間は金右衛門を責める。
しかし金右衛門は、「女の心を利用してまで図面を手に入れることは私にはできない」と頑なに拒否する。
だが大石蔵之介の同志を想う気持ちに感動し、図面を手に入れることを決意する。
「金さん、あんたはもしかして赤穂の…」
「おすうさん、図面を持ってきてくれるのですか、くれないのですか」
「金さん、私にも聞きたいことがあります。少しでも私のことを好いていてくれたのですか。私を利用するために好きな振りをしていたのですか」
「好きだ。好きだからこそ今まで悩んできた。実は……」
「もう言わないで。それを聞いて私は本望」
金さんは鶴田浩二、おすうさんは若尾文子さんだった。
そんな浪花節的な話をいつまでも、という人を馬鹿にしたコメントは百も承知。酔っているから書いているのである。
吉良邸討ち入りに成功し、浪士は雪の花道を高輪泉岳寺に向かう。
その途上、おすうさんと金右衛門が交わす言葉は先の言葉。おすうさんはただ泣くだけである。
「討ち入りのためにあなたを騙していた。私のことは忘れて幸せに暮らして欲しい」と金右衛門は言うべきだったのか。
酔うということは判らないということである。人生には判ろうとする時間と分からなくていいい、という時間がある。
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