結婚したら人生終わり

つぶやき

 朝ネットを見ていたら「結婚したら人生終わりでしょ」という記事があった。
 もちろん私には結婚などはもはや関係ないことで、結婚した当時を思い返すこともないが、しかし結婚して人生は始まると思っていた身には、この言葉は意外と言ってもいいし、なるほどそういう観点が現代の若者にはあるのか、と気づくことになった。

 この言葉は婚活で知り合った男性が、デート中に女性に語ったこととして掲載されている。まだネットに掲載されていると思うので、興味ある人はこの標題のまま検索すれば出てくる。
 結婚したらどう人生が終ってしまうのか、について男性の言葉はないようだが、言葉はなくても大体の察しはつく。
 しかし婚活相手の女性にこのような言葉を発する男とはどんなん人間なのか。遊び相手探しに婚活を利用するタチの悪い男が多い、とその女性は書いている。なるほどである。

 私がこの言葉に関心を持ったのは言うまでもなく、少子化とか婚姻数の減少とかに関連することだからである。
 私自身が、結婚したら人生終わり、と考えているわけではない。昔の独身とは、男性も女性も婚期を逃してしまったか、一生独身でいたい、というものであった。
 結婚しなければ人生始まらない、と考えている人には、一生独身でいたい、と言う人の気持ちは分からない。しかし一生独身でいたい、という人は、結婚したら人生は終わり、とは考えていなかったと思う。

 結婚は人生の墓場であるかは人によって異なる。この言葉は外国の作家の言葉とされているが誤訳であるらしい。この作家はそんなことは言っていないし書いてもいないということである。
 よくある話で、似たフレーズを日本人が勝手に、結婚は人生の墓場である、と言い出したものとされている。
 しかし事実はどうであれ、この言葉に共感する人がいるのであれば立派な格言であり、誤訳であることなどどうでもいいことである。日本人男性は特にこの言葉が好きなようである。

 なぜ婚姻数が減少していくのか。いろいろな原因はすでに指摘されているのでここに書く必要もない。
 婚姻数は減少しているが離婚数は増えている。婚姻は人間の生活において欠くことのできないものであるとされてきたが、どうもそうではないことになる。
 女性が一人で生きていけるような時代になったから婚姻は減り、離婚は増える、ということであるなら、婚姻そのものにもはや意味がないことになる。

 私の知人の娘さんが40代の頃に夫を亡くし、その後再婚したという話を聞いたような気がするが、実際は再婚はしていなかった。つまり婚姻届けはせず、いわゆる同棲をしていたということである。
 その男性が何年か前に亡くなってしまった。この娘さんは2人の夫を失ったことになる。私がお悔やみを言うと、夫のことをパートナーと言う。夫なり一緒に生活している相手のことをパートナーという言い方はこの時初めて聞いた。

 結婚が人生の墓場になるかパラダイスになるか、人様々である。
 理想的な結婚というものが結婚式の祝辞なので言われるが、果たしてそうかなと思う。
 人間好きなことをやるのが一番である。そうであるから女性が好きな男は何回も結婚したらいいと思う。現に私の知り合いに3回結婚した男がいる。いずれも相手は水商売の女性である。
 以前再婚したばかりの時、その女性を交えて一緒にゴルフをしたことがあるが、実にその女性を大事にしている。最近また再婚したという話を聞いた。私と同じ歳である。
 元気と金のある人はそれでいいと思う。民法は離婚を否定していない。誰にでもあり得るとして規定している。
 
 結婚したら人生終わりなのか、エンドレスに何度でも結婚すれば終わらないのか、一度の結婚を続けるのか。これは一般論として考えることではない。自分がどうするか、どうしたいか、どうもできないか、ということだけのことである。
 
 パートナーという言葉は中学英語以来聴いてきた言葉であるが、しかし最近は少し意味合いが違ってきたようである。同性婚とか言われている中でこの言葉がよく出てくる。

 結婚とは愛し合う男女だけでなく、昨日初めてお見合いで知り合った男女にもあることである。結婚は内容を伴わなくても成立するのである。社会の秩序とか安定とかいうものを第一義に考えれば、制度というものはそういうことになる。

 パートナーという言葉には、相手ということの他に、配偶者という意味もある。しかし日本の結婚という制度には、相手とか配偶者とかに訳すパートナーという考え方は存在しないものであると思う。日本語に訳さないパートナーという言葉が、なにか未来につながるものを暗示する気がするのである。 (了)

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