経過観察の危険

つぶやき

 家内が明日退院することになった。入院の翌日の手術からわずか7日間。肺の2カ所を胸腔鏡によって切除して、わきの下に3つの手術痕がある。

 全身麻酔から覚めてほとんど痛みを訴えることがなかった。担当医の「病院スタッフのひとこと」には、「少しでも負担がなく早期退院に繋がる手術、医療を心がけています。よろしくお願い致します」とある。その通りの結果となった。

 家内の入院に際してなにより心配したのは痛みであった。こんな歳になって耐えきれないような痛みを感じさせたくない。

 人によって痛みの程度は違うとネットにあるが、しかし体に穴をあけ、肺を切除する手術である。痛くない訳がない。

 それにトイレのことであった。手術後動けないと看護婦さんに手伝ってもらってベッドでしなければならないことになる。そんな恥ずかしい思いをさせたくない。

 痛みもないし、手術が終わって夕方にはベッドから立ち上がったらしい。
 
 がん専門病院でないことからいろいろ心配したが、すべて担当医師の言うとおりに進んだ。この医師は近い将来日本における呼吸器外科の最高位に位置する医者になるのではないだろうか。

 経過観察ということについて考えざるを得ない。経過観察の意味とかその必要性を理解しているつもりだが、経過観察をすることによって病状が進んだり、それが原因で命を落とすというようなことがあるのではないだろうか。

 例えば、がんではないが稀にがんに変化するというような病変の場合は経過観察をすることになるが、病変ががんかどうかはっきりしないというときは、最初からがんとしての対応をすべきではないだろうか。

 家内の手術までのいきさつはこのブログに書いてきたが、町のクリニックの対応がひどかった。杜撰というべきである。
 
 病変の変化を見落とし、PET-ctの「淡い集積を認める」という検査報告を「陰性」と理解した。

 今年4月の時点で、陰影が見つかってからすでに10ヵ月が経過しているのに、次回の検診は来年の4月でいいという。

 この医師は循環器が専門。高齢でもある。担当部署が変わったというが、週に2回しか診察しない。要は引退の準備ともとれる。

 専門でもなく、画像を読み取ることもできず、陰影の拡大にも気づかない。無責任に「心配ない。経過観察でいい」を連発する医師である。

 肺がんは初期症状が全くない。咳や痰が出始めたら進行がんになっている。健診に行ってせっかく初期の病変が見つかったのに、医師のいわば怠慢で病状を悪化させてしまう。

 1年経過間察をしていたらどんなことになったのだろうか。経過観察は患者にも油断を与えてしまう。「経過観察なら大したことはない」と思ってしまうのである。そのことがその後定期検診に行かなくなることの原因にもなる。

 医者の能力を見抜くことは難しい。あのまま医者の言う通り1年経過観察していたら、手術ができなかったかもしれない。

 ボンクラ医者の配置換えによって家内の病状が別の医師の目にとまった。配置換えが家内の命を救うことになった。幸運と言えば幸運だが、こういう幸運はあっていいのだろうかと思う。

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