経年劣化は電気製品だけではない

つぶやき

 頸椎症性脊髄症(脊髄症)という病名を医者から告げられて14年が経つ。
 その頃はまだ歩行障害という症状はなく、シャツのボタンがはめられないとか、指に力が入らず、バイオリンの糸巻きが巻けないという状態であった。

 近所の町医者に「あんた死ぬよ」と脅かされ、紹介された脊髄専門という国立病院で、若い医師は私の顔を見ることもなく、即手術ということになった。

 検査入院が終わり、次週手術という時、東北大震災が起きた。
 手術は延期となり、以来10年近く手術を避けていたが、歩行障害が起きるようになってしまった。

 11日は東北大震災から14年目である。

 脊髄症を発症した有名人は結構多い。
 西部邁さんは多摩川で自殺されたが、かなり症状の進んだ脊髄症を患っていたらしい。手のマヒはパソコンのキーボードも操作できないほどで、歩行障害は全く歩けないという状態であったようだ。

 警察が自殺幇助として西部さんの友人2人を逮捕したのは、そのようなことかららしい。

 脊髄症で入院したとか手術したとかマスコミが報じた人に、北島三郎さん、近藤正彦さん、尾木直樹さんたちがいる。

 北島三郎さんは今どうしているのだろうかとネットを見たら、「北島三郎両足切断、孤独死発覚、衝撃の死因、噂の真相がヤバイ」という動画があった。
 このような動画というのは、どこのどいつが発信しているのだろうか。

 北島さんが現在車椅子であることは確かなようであるがご健在である。

 脊髄症の初期は、手のしびれやマヒが自覚症状として現れ、歩行障害、排尿・排便障害と進む。

 手術は根本的治療にはならないようだ。一度傷ついた神経が元に戻るということはないらしい。

 毎週マッサージにかかり、ウォーキングやささやかに筋トレをしているが、一向に歩行障害はよくならない。排尿障害などはないから、どうやら歩行障害の段階で現状維持のようである。

 どんな病も早期発見と早期治療である。14年前、不愛想な若い医者の言うとおり、手術を受けていればよかったのかもしれない。

 手術をすれば元のように歩けると思っていた。周囲は、手術をしたのに歩けないのは努力が足りないからだ、という見方をする。歩けないものは歩けない、ということが歩ける人には分からない。

 この歳になって髪はまだふさふさ。まっ黒ではないが、まっ白ではない。顔色もいい。体格も中肉中背。風呂も一人で入れるし、誰の手を煩わすこともない。
 
 どこにも非はないのだが、歩きにくいということが、これから生きている限りついてまわるようだ。
 面倒な余生になりそうである。
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました