5日前の毎日新聞に掲載された、「大日本帝国『終戦構想』に学ぶ」という記事をじっくり読んだ。
筆者は栗原俊雄という記者である。末尾に「専門記者」と書かれていたが、「専門」とはどういうことなのだろうか。
それはいいとして、この記事を読んであらためて、あの戦争(太平洋戦争のこと)について何も知らないことに気がついた。
戦争を知らない者が戦争を考えられるはずはないが、やはりあの戦争については、自分なりに考えておくことは大事なことだと思うのである。
それにしては年を取りすぎた。
私の父は独身のとき満州事変に出征した。出生年から考えて28歳くらいということになる。
母から聞かされた話であるが、中国北部の牡丹江という川が流れる地で負傷し、日本に帰ってきたらしい。
父のことはどうでもいいことなのだが、そんなことから満州事変、支那事変、盧溝橋事件、日華事変、大東亜戦争とかいった言葉を子供頃から聞かされてきた。
しかしそれらの言葉の意味とつながりが最近まで分からなかった。
あの戦争のことが多少とも理解できるようになるには、満州事変、支那事変、さらには日露戦争にまでさかのぼる必要があることを知った。
日本が行った事変、戦争は、終局あの戦争につながっていくのである。
なぜ「事変」であって「戦争」ではないのか。
関東軍はなぜ中国北部に駐屯していたのか。
満鉄をどうして日本が管理していたのか。
満州国とは何だったのか。
「大東亜戦争」はなぜ「太平洋戦争」と呼び名を変えたのか。
「八紘一宇」は習近平の「一帯一路」と同じことではないか。
なぜアメリカに奇襲攻撃で開戦したのか。
本当に勝てると思っていたのだろうか。
これらに関する理解をここに書くのがこの稿の目的ではない。
日本は中国を侵略したのか、ということについては、現在政治的立場の問題となっているから、本を読んだくらいの者が勝手な思いつきを書くべきではない。
しかしただ一つ、日中戦争のことで考えさせられたことがある。日本が中国と戦争を始めたとき、アメリカやヨーロッパ各国は中国に対して、資金援助や武器供与をしたということである。
どこかで聞いたような話である。
現代のプーチンによるウクライナ侵攻に際し行われたことが過去に行われていたのである。
そうであれば、昔の日本は今のロシアということになる。日本はそういう国であったのだろうか。
新聞記事のテーマは、戦争を始めれば終戦構想というものを持っていなければならない。どこで手打ちにできるかの戦略がなければいけないということであった。
日本もアメリカと戦争をするに際して何通りかの構想を持っていたらしいが、いずれも「むちゃくちゃな幼児の願望のような構想であった」らしい。
軍の構想もアメリカの豊富な物量によって粉砕されてしまった。
負けたと言わなければ戦争は負けにならない、と軍は考えていた。
戦争末期には軍は「1億玉砕」ということまで言い始めた。
以前も書いたことだが、1億玉砕とは、日本に上陸したアメリカ兵が、竹ヤリで立ち向かう日本人の女子供を殺していけば、その屍を踏んで進軍することに嫌気がさし、そのうち退却するだろう、というものであった。
保坂正康氏の著作にその記述がある。軍は本気でそう考えたらしい。まともではない。そんな考え方が現代にも残っている。
終戦構想もなくズルズルと戦争を継続して、しまいには広島、長崎への原爆投下となってしまう。
あの戦争で300万人以上の日本人が死んだ。しかし国は正確な死者の数を把握していないという。
記者は、日本政府が「新しい戦争」に備えるなら、被害を最小限にするための「終戦構想」を想定する必要がある、と言っている。
旧日本軍の過ちを繰り返してはならないと言うが、しかし「あの政府がやる事、まともな構想が作られることはないだろう」として記事を終えている。
だがしかしちょっと待ってくれといいたい。日本政府はすでに「新しい戦争」に備えているのか。
軍事費増額については知っているが、「新しい戦争」が起きることを現実に予定しているということなのだろうか。
「新しい戦争」が近い将来起きるであろうことは確かに考えられない事ではないが、そうであるなら日本政府の終戦構想などどうでもいいことである。
核爆弾で日本は無くなってしまうかも知れないからである。悪い冗談ではない。悪意に満ちた隣国が存在している。終戦構想などという生易しいことで対応できることではない。(了)
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