独善であるが、紅白歌合戦というものは見るものではないと思っている。
最後に見たのはいつのことか、もちろん覚えていないが、生方アナウンサーのミソラ発言のあたりからではないかと思う。
ミソラ発言はいつだったのだろうかと、便利なウィキペディアで調べてみると1984年とあった。
この時の紅白では、白組司会者であった鈴木健二アナウンサーの「私に1分間だけ時間をください」とい言葉が後々流行語になったとも書いてある。
歌手の都はるみさんはこの時の紅白をもって引退することになっていた。
鈴木アナウンサーの言葉は、歌い終わった都はるみにアンコールの声がかけられ、それでは私がはるみさんに頼んでみましょう、というときに出たものであった。
生方アナウンサーの「ミソラ」発言は、アンコール曲の「好きになった人」を歌い終わった都はるみに、ねぎらいの言葉を声をかけたときに出たものである。
発言の前後からして、ミヤコというところをミソラと言ってしまったことは誰の耳にも明らかであった。この時の紅白には歌謡界の女王美空ひばりは出演していなかった。
その後「ミソラ」発言は大きな波紋となってしまった。単なる言い間違えなのだが、世間が許さなかったのか、マスコミが格好の事件としたのか、生方さんはその後あまりいい人生を送ることができなかったようだ。
紅白歌合戦。男女のプロの歌手が紅白に分かれて歌を競い合う。
歌番組として面白い企画である。しかし少し考えてみるとおかしな話でもある。
プロ歌手が勝つか負けるかということである。負けたらどうするのか。負けたら悔しさにうちしがれるのか。引退するのか。
しかしそんなことには全くお構えなしに、終わればみんなで仲良く蛍の光の合唱である。なにが合戦なのか分からない。男女の夜の合戦、時代が時代なら春本の世界のことである。
紅白を思いついたのは、今朝見たネットに視聴率が掲載されていたからである。
歴代2位のワースト記録ということになったらしい。35%台で2年連続で40%を切ったと記載されている。
紅白と言えば国民的番組であり、視聴率は今でも80%を超えているものと思っていた。
紅白はその時代その時代に流行った歌を、年の暮れに楽しむものであった。
流行歌には老いも若きもなかった。みんなが同じ歌を好きになり、愛し、口ずさんだ。だからこそ国民的番組であった。
今やそんな時代ではない。むかしは良かったなどと言うつもりはない。各世代が自分たちの好きな歌をうたうことはいいことである。
80%あった視聴率が30パーセント台になっているということは、そういうことを反映してのことだと思う。
NHKも時代に合わせた番組を作るべきである。伝統の紅白であるから簡単にやめることはできないであろうが、延命としか思えない奇抜な演出をいろいろやってもますます紅白とは異質のものになってしまう。
そんなことを言う私にも紅白の思い出はある。子供の頃紅白は叔母が経営する喫茶店のテレビで、カーテンに隠れて見ていた。
そのころ各家庭にはテレビがなく、街頭テレビや喫茶店などで見たものである。
叔母の店も紅白や力道山のプロレス中継となれば、入りきれないほどの客で椅子が埋まり、ミカン箱や踏み台などに客を座らせたものである。
それでも文句を言う客は一人もいなかった。どういう訳かダークダックスが出演したのを覚えている。亡くなった姉が美空ひばりを見てその歌のうまさに感激していたことも思い出す。
紅白で歌われた歌の中で、歌謡曲好きの私としては今でも気になることがある。私が大学生の頃のことだが、青江三奈さんの伊勢佐木町ブルースのことである。
この曲のイントロ部分に「アハーン、アハーン」というセクシーな青江さんのため息が入る。NHKはこれを卑猥として、おもちゃのラッパのようなものでその部分を置き換えた。
青江さんはそのまま歌ったが、なぜ拒否しなかったのであろうか。リハーサルの時なぜ抗議しなかったのだろうか。彼女だけでなく作詞家、作曲家。この曲に関する人全部である。
作品をおちょくられたのである。私は気が付かなかったが、その時司会をしていた坂本九は、ガチョウのため息、となにより紅白に出たかったのか。
神田川を歌ったかぐや姫が紅白に出場することになった時、NHKから歌詞にあるクレパスをクレヨンと言い換えるようにという指示があったという。
クレパスは特定の会社の商品名だということがその理由だという。南こうせつさんは出場を辞退した。私の好きな話である。
お祭り騒ぎが終われば画面は一転、静寂な雪景色の寺院である。永平寺が似合う。除夜の鐘が響く。人々が雪を踏みしめ初詣に向かう。
新しい年まであと15分。紅白歌合戦はあの当時確かに人々にとって大みそかであった。しかしあまりにNHK的であった。(了)
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