何年前に見たのだろうかと思ってネットで調べてみたら、2007年6月にNHKBSで放送されたものだった。
人形浄瑠璃の竹本住太夫と三味線の鶴澤清治が共演した「闘う三味線 人間国宝に挑む 文楽一期一会の舞台」というNHKのドキュメンタリーである。
最初からこの番組が見たくてチャンネルを合わせたわけではない。いつものように見たい番組もないのにテレビをつけ、リモコンを気ぜわしく動かしているうちに、この番組が面白そうだと感じたのだと思う。
竹本住太夫さんは人間国宝であり、鶴澤清治さんは文楽太棹三味線の第1人者とされている。ともかくこの世界におけるトップの2人が初めて共演することになったらしい。場所は国立劇場。曲は阿古屋琴責という難曲だそうである。
その公演に至る2カ月近くの2人の練習を記録したものである。
題名からするとこのドキュメンタリーは、鶴澤清治さん側から撮影する意図があるようだ。人間国宝に挑む、というのだからそういうことになる。鶴澤清治さんもその後人間国宝になっているそうである。
二人の年の差は20ほどあり、この世界の格ということであれば竹本住太夫さんの方が上ということになるのであろう。
途中から見たのだが、空気を切り取るような明快な三味線の音色に興味をひかれた。
この年、竹本住太夫さんは83歳くらい。鶴澤清治さんは62歳くらい。
竹本住太夫さんは、義太夫の太夫としてはその全盛期を超えていたのかもしれないが、こういう世界は年相応の芸というものがあるのではないだろうか。
住太夫さんの声は決して衰えた声とは思えない。初めて聴く者には物語の内容は分からないとしても、情感は伝わるものがある。
しかしどうも三味線と合っていない。三味線が鳴りすぎているし、テンポも早い気がする。三味線が謡を煽っている。
どうやらこのドキュメンタリーは最初からこのことを意図したようだ。
最後まで見ても、鶴澤清治さんは竹本住太夫さんに合わせる気は全くない。これは挑戦ではなく挑発である。
義太夫や三味線のことを知らなくてもそのくらいのことは分かる。
二人の呼吸は合っていないし、住太夫さんが静かに語る場面においても三味線の音はそれに合わせようとしない。鶴澤清治さんは最初から合わせる気はない、ということが見る者に伝わってくる。
住太夫さんの戸惑う顔がアップに映し出されている。鶴澤清治さんはそんなことにお構いなしに三味線をまさにかき鳴らしている。彼の顔には冷酷な人間が持つ表情を浮かんでいる。
本番でも変わらない。練習の時よりもっと煽っていたようにも見える。
竹本住太夫さんの、謡いにくそうな表情が何度も映った。
鶴澤清治さんの顔には伴奏者としての穏やかさはない。太夫を無視している。名人同士が芸を競い合って芸の高みを極める、ということではない。
住太夫さんを追い詰めている。芸人の顔つきではない。なぜこんなことをしたのだろうか。
「三味線弾きは太夫の引き立て役ではない。三味線弾きはその地位を上げるためにも、太夫の伴奏ではなく謡と対等な立場で演奏をしなければならない」
そんなことを鶴澤清治さんは考えていたのではないか。よくある話である。
しかしあの三味線は間違っている。三味線は伴奏である。鶴澤清治さんは伴奏の意味を分かっているのだろうが、やってはいけないことをやってしまった。自分の芸を披露したかったら独演をすればいい。
本番を終えて住太夫さんは何か言いたそうだったが、明快な言葉は残さず、ひとり暗闇に向かって歩いて行った。その後ろ姿は悲しそうに見えた。
鶴澤清治さんは、芸を演じた人間とは思えない自慢げで冷酷な人間の顔をしていた。
NHKは製作意図を達したのであろうか。
鶴沢清治さんはこのドキュメンタリーが己の恥であることに気が付かなかったのであろうか。芸人としてとんでもない間違いを犯してしまった。このような人が人間国宝でいいのだろうか。(了)
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