秋の家族旅行とマットレス

つぶやき

 このところ夕方に雨が降る。何日か前は豪雨となった。
 一雨(ひとあめ)ごとに秋になる、と母が言っていた気がするが、一雨ごとに春になる、だったかもしれない。
 しかし豪雨では風情がないが、どうやら秋が来たようだ。

 今年の秋の紅葉はどうだろうか。猛暑で葉が焼けてしまったという話を聞く。このところ野菜の値段が高いらしいが、畑の深いところの土が水を含んでいないのが原因だという。

 私の鉢植えのイロハモミジは葉が全部落ちてしまった。残念なことに今年はこのモミジを肴に酒を楽しむことができなくなってしまった。

 『秋でもないのに人恋しくて』という歌があった。本田路津子さんの声が美しい。

 秋は実りの秋であり、別れの季節でもある。秋は飽きの季節なのかもしれない。

 秋になれば旅行であるが、私は根っからの出不精で、あまり旅の思い出はない。
 5年ほど前に船旅の途中、大阪港から京都に回ったが、嵯峨野は外国人だらけであった。

 しかし出不精の身にも、東北や瀬戸内海には日常を離れた風景の美しさがあった。厳島神社の潮の満ち干には、時を忘れて魅せられた。

 正月の旅行は嫌な思い出ばかりである。日本の観光地の衰退を実感させるものがある。高い料金をふんだくり、サービスも料理も詐欺のようなものばかりである。
 正月の宿だけは、こちらから一見(いちげん)さんお断りである。

 家族旅行の思い出には京都と北海道がある。いずれも子供たちが小学生か中学に上がったばかりのことであった。

 子供たちに楽しい思い出になったのかどうかは分からないが、子供にとっての思い出とは「そういえばそんなことがあった」という程度のことである。

 親の思い出としては「そういえばあの頃は少しお金があった」ということになる。家族旅行というものはそんなものであった。

 しかし家族旅行にも忘れられない思い出がある。秩父のハイキングである。娘は小学4年生、息子は1年生くらいだったと思う。

 車で行けば30分もかからないようなところを何時間もかけて歩いた。山々は錦の裾模様。空は青空。絶好のハイキング日和だった。

 森の中を娘のリコーダーに合わせて歩く。周りには誰もいない。家族だけ4人の小さな旅であったが、私にはお金のかかった北海道や京都の旅より、人生一番の大きな思い出である。普段忘れているが、思い出すと忘れられない思い出となる。

 非日常という言葉はいつごろから使われるようになったのだろうか。
 もちろん非日常という言葉は最近の造語ではない。昔からあった言葉であるが、それが旅行とか豪華なホテルの部屋に泊まることについて使われるようになってから、特別な響きを持つようになった気がする。

 日々の暮らしから自分へのご褒美としてちょっと贅沢な非日常を味わう。旅行会社の宣伝文句であるが、人々は非日常という言葉に、贅沢の言い訳を見つけたような気がする。

 親子4人が4畳半一間の貧乏暮らしをしていたとき、母はマットレスに憧れていた。
 勤めていた食品会社の慰安旅行かなにかで知ったのかもしれないが、旅館で布団の下に敷くマットレスの寝心地の良さに驚いたらしい。

 それ以来、お前たちにマットレスを買ってあげたい、とよく口にしていた。もちろんそんなお金はないし、マットレスを敷ける広さもない。

 母にとっては、旅行に行かなければ見ることのできないマットレスは非日常だったのである。

 入院、退院を繰り返した去年から2度目の秋となる。特に感慨があるわけではない。
 この秋には、黄葉(紅葉ではなく)の林の中をうしろ手に組んで、少しうつむきながら歩く姿を写真に撮っておこう。
 私に感慨はないが、その写真が私の感慨を想像してくれるだろう。(了)

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