昔、と言っても昭和40年代、若者の住むアパートは私鉄沿線が多かった。
私鉄沿線の家賃は安かったからである。
今では想像もできないが、トイレ・炊事場共同、3畳一間というアパートがあった。かぐや姫の「神田川」の世界である。
そんなことから若者の恋愛の舞台は、私鉄沿線ということになる。
若者の恋愛は狭苦しく、雑踏を感じさせる小さな「駅前」がいい。
野口五郎さんに、「私鉄沿線」という曲がある。
「国鉄沿線」今なら「JR沿線」これでは雰囲気が出ない。
国鉄線を歌ったものに「あずさ2号」という名曲があるが、8時ちょうどの松本行特急電車では、旅行計画がしっかり立てられているようで、失恋の悲しみが伝わってこない。失恋の旅は、「知らないうちに列車に乗っていた」というものでなければならない。
「私鉄沿線」は男が女を待つ歌である。男のアパートで同棲していたらしいが、女性に逃げられたようである。
「私鉄沿線」の女性はなぜ別れたのであろうか。よほどの事情がなければ男とは違い、女性から別れることはないはずだ。
何があったのか。歌詞にはなんの説明もない。
身勝手に別れを言い出した男の未練の歌ではないか。
自分から別れようと言い出して、やっぱり別れなければよかったと、改札口で待っている情けない男の歌ではないだろうか。
「そんな話を今の私にするなんて」
女性は理不尽な男の別れ話に悩み悲しんで、それから綺麗さっぱりバカな男を忘れてしまっている。男が待っているような改札口は通らない。
「私鉄沿線」とはそういう歌である。
野口五郎さんは分かってこの歌を歌っているのだろうか。
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