まだこのようなことを言う人が残っていたのか。またこういうことを言い出す人が現れたのか。櫻井よしこ氏の発言である。
「『あなたは祖国のために戦えますか』。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです」
櫻井よしこ氏。テレビの報道番組で活躍していた時代、知的な女性として印象深い人であった。
テレビを離れてから保守的言動をするようになった。
知的な容貌から「どうしてこの人がこんな発言を」と思ったが、最近は彼女の容貌に復古的保守の危なさを見るようになった。
祖国のために戦う。美しい言葉である。ウクライナの若者が、幼い子供と妻を残し戦場に向かう時の言葉であれば感動がある。
しかし女性は祖国を口にする前に愛する人を語った方がいい。
戦争を止めるのは女性である。その女性がなぜ戦争を口にするのか。
戦争はいつも祖国を守るために始まった。狂気が狂気を呼び祖国の破滅を迎えた。戦争に行った人は命を懸けて戦争の愚かさ、無残さを語り残した。
「戦争を知らない者は戦争を語るべきではない」そんなことはない。
戦争を知らない者は、「戦争をしてはいけない」と死んでいった人の魂の叫びを受け継がなければならない。
「日本を取り戻す」 安倍晋三氏が2012年の衆議院議員選挙の際に掲げたスローガンであった。何を取り戻すということなのか。
「悪夢のような民主党政権」から政権を取り戻す。
「バブル期や高度成長期の景気」を取り戻す。
どうもそういうところに視点があったようではないようだ。
「戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す」と安倍さんは述べている。
では「日本という国」とはどういう国なのか。
「戦後の歴史」から「日本という国を取り戻す」と言っているのであるから、戦後はよくない時代であったということになる。
だから自主憲法を制定し、教育勅語、家族制度を復活し、靖国参拝は当然合憲とし、軍隊を持ち、自虐的反国家的教育となっている学校教育を制限しなければならない、というのが安倍さんの主張であった。
「祖国のために戦えますか」。本当は「祖国のために死ねますか」と言いたかったのかもしれない。
戦後80年近く経つというのに昔に戻ることしか策がない。その昔とは、国民を権力に従わせることができた時代のことである。
国民がみな整然と隊列を組んで行進し、教育勅語を暗唱し、国歌・国旗に敬礼した時代である。権力にとって何よりほしいのは国民の従順であり、邪魔なものは民主主義である。
安全保障教育で祖国のために戦い死んでいく若者を作ることより、「祖国のために戦えますか」、という言葉が死語になる社会を目指さなければならなかったのではないだろうか。(了)
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