ハッキリと放送局名を覚えているわけではないので名前を出して書くわけにはいかないが、以前特攻隊に関する番組が放送されたとき、特攻隊は軍の命令で創設されたものではなく、兵士たちの提案によって作られたものである、というナレーションがあった。
日本の戦闘機が、迫りくるアメリカ軍を撃退することができず、アメリカ艦船の撃沈はおろか、損傷を与えることすらもできないことから、確実に戦果をあげるためには特攻をすべきだ、という前線で戦う兵士の熱意から計画されたということになっている。
天皇のために命を捧げた身、そうであるなら戦功を立てて死にたい。若い兵士たちには納得できることであったという。
しかし特攻の攻撃であっても敵艦に体当たりすることは難しいことであったらしい。
特攻隊の出撃は、ほとんどアメリカ軍に事前に察知されていて、敵艦が航行している場所に到達する前に空中で撃墜されてしまうからである。
記録映像を見ていると、特攻隊の体当たりの映像が映し出されているが、事実は敵艦突入は少なく、突入できてもさほど効果はなかったとされている。
特攻隊は軍の発案によって作られたものではなく、国を想う兵士たちによって生み出されたものである。にわかに信じるわけにはいかない。
名古屋市長である河村たかし氏が先月、「祖国のために命を捨てるのは道徳的な行為」と発言していた。
当然、市民団体や自民党市議団までもが批判しているようだが、河村氏は撤回する気はないようだ。
河村氏という人は、話題というか問題を惹き起こす、どこか異常性を持った人である。
確か南京虐殺はなかったと言った人であり、大村愛知県知事のリコール問題、金メダルをかじるなど、大小いろいろ話題を投げた人である。あまりいい印象のない人であるから調べればいろいろ問題が出てくるはずである。
祖国のために命を捨てる気はあるか、と言っているわけではない。そこまで言う勇気はないのかもしれない。
祖国のために戦えますか、と言った人は櫻井よしこさんであった。
河村氏は、「道徳的とは、感謝される対象、徳がある」ということであると言っている。戦争で祖国のために死んでいった人たちに感謝すべきである、ということを言いたいということである。
そうならそう言えばいいではないか。「祖国のために命を捨てるのは道徳的な行為」という発言を、「死んだ兵隊さんに感謝すべきだ」と読み替えることは無理である。
戦争で死ぬことを「道徳的」と言えばそれが「推奨すべき良いおこない」となってしまう。そう理解されることを意図したのかもしれない。
河村氏は私とほぼ同じ世代である。彼には「祖国」という意識があるらしいが、学年では二つ上の私にはない。
「祖国のために死ぬ」「祖国のために戦う」。どうして国や国家ではなく「祖国」になるのだろうか。祖国とは何なのか。
櫻井さんも河村さんも祖国に対する説明がない。
河村さんは大学卒業後、家業(古紙回収業)を継ぎながら、検事になるべく司法試験に挑戦するが、9回挑戦して挫折する。(ウィキペディアによる)
頭の悪い人ではない。大学は東大と並ぶ国立大学の名門である。
9回挑戦して失敗。よほどのことがない限りあり得ないことである。
河村さんは司法試験に向いていなかったということになる。
本当に頭のいい人は司法試験に受からないという話もある。法律の勉強が馬鹿らしくなってしまうらしい。法律は学問ではなく、取り扱い説明書のようなものであるからである。
だがしかし河村さんは、この挫折を引きずって生きてきたはずである。9回挑戦して受からなかった。この挫折が河村さんの人格に影響を与えないはずはない。
時代が悪い方向に向かう時、必ず人の心に触れる言葉が現れる。
いま祖国と言う言葉に注意することが必要である。時代を変えようとする動きは、誰も反論できないきれいごとから始まる。
いつまでも平和ボケでいられる社会であることが大事である。(了)
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