3月11日は12年前、東北地方に未曽有の大地震が発生した日である。多くの犠牲者が出たが津波によって命を奪われた人が多い大地震であった。
いまだに行方不明者が2,500人以上もいる。家族を探す夫や父の姿が何度も映された。妻を探すため潜水夫の資格を取った人もいた。
テレビや新聞はこの大地震を風化させてはいけないと主張している。確かに風化させてはいけないし、語り継いでいかなければいけないと思う。
しかし風化は物のことではなく人の心のこと。調査では7割近くの人が、風化が進んでいると思う、と答えている。いろいろな思いがある。軽々に口を挟むものではない。
小学生の頃だったと思うが、地震を感じた村の庄屋さんが自宅に火をつけ、村人を津波から守ったという話を読んだことがある。
火事と思った村人たちが、庄屋さんを助けようと高台にあった庄屋さんの家に向かい、そのため村人は大津波から逃げることができた、という話である。
小泉八雲が書いた話ではなかったかと思い出し、調べてみたらそうだった。しかし火をつけたのは自宅ではなく、脱穀した後の稲の束であり、そのことを稲むらということから「稲むらの火」というのが話の題名であることも判った。
1854年に起きた安政南海地震に際しての出来事をもとにしての物語だそうである。場所は和歌山県あたりらしい。まさに南海トラフ地震である。
南海トラフ地震、半割れという初めて聞く言葉、首都直下地震、北海道海溝地震、富士山爆発。発生すれば何万人、何十万人という人々が犠牲になる天災である。
国難、壊滅、日本消滅。日本人は本当におっそろしいところで生活している。
3月11日前後のブログには、やはり皆さん地震の恐怖を書かれている。その日朝5時過ぎ、北海道と関東地方に1分違いの地震があった。「なにもこんな日に起きなくたっていいじゃないか」とブログに書いた人がいたが、地震は言っても聞かないものだからその気持ちが良く分かる。
みんな恐れているのだから何か対策をしていると思うし、しているはずである。しかし我が家は何もしていない。飲料水を何日分か用意しているが、備蓄庫を買って食糧や衣類など揃えているなどということはしていない。
家の外装塗装とか、外構をきれいにしたり、風呂場を最新のものにして快適に過ごせるようにと金は使ったが、耐震工事はまだしていない。
耐震検査の結果、我が家は震度6弱で倒壊すると診断されている。とりもなおさず耐震工事をするのが先決であるが、そんなに急ぐこともないだろうと思っているうち10年近く経ってしまった。
我が町にも自治会がある。市役所も関与して、自治会として地震に対していろいろ対策がとれると思うがあまり、というより全くと言うほどそのような話は聞かない。
公園の一角に倉庫などを設置して、水とか救急道具とか保管したらいいのではないかと思うのだが、そういうことはない。
コロナの予防注射はみんな打つが、大地震対策行わない。手におえるものではない、起きたらどうすることもできない、起きるかもしれないが起きないかもしれないではないか。なるべく気にしたくないのが大地震である。
3月11日が過ぎれば地震関連の報道もなくなるのであろう。先日二日続けて南海トラフ地震の想定番組をNHKは放送した。私は見なかった。予告編を見ただけでも怖くなって見る気がしなかった。
国営放送が、国民があまり触れてほしくはないことを特集番組として作成したのである。国民に注意を呼びかけるものなのであろうが、さりとて国民はどうしたらいいのだろうか。
解決策がある問題ならいいが、大地震にはそれがない。さすがのNHKでも、安心な大地震、とは番組を作れなかった。
この番組は原発に触れることはなかったそうだ。あの浜岡原発がある地域なのにである。福島第1原発は何の問題もなく廃炉処理をしているとでもいうのだろうか。汚水も結局は海に流す以外方法がなかった。
「起きちゃったことはしょうがない」起きちゃったことをいつまでも文句を言うと、逆に批判されるのが日本の社会であった。
「過去なんども南海トラフ地震は発生している。しかし日本は一度だって消滅したことはない」勇気づけられる言葉としていいのだろうか。 (了)
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