相撲は酔って観るに限る 

つぶやき

 ブログに何度か相撲のことを書いたが、特に相撲が好きだということではない。とわいえ、一瞬の力の出し合いで勝負が決まる相撲を面白いと思うのであるから、相撲が嫌いということでもない。

相撲が好きだと言う気にならないのは、なにかとしきたりとか伝統ばかりを口にする相撲協会のせいであることは間違いない。元横綱白鵬への嫌がらせを目にすると、陰湿、陰険という体質もあるようだ。しかし白鵬もよくない。

相撲は序列の世界と言われるが、呼び出しにまで序列はあるらしい。
ずいぶん昔のことだが房錦というお相撲さんを主人公にした映画があった。「黒い弾丸房錦」という言葉が記憶にあるが、それが題名であったかどうかははっきりしない。

その映画に「一枚違えば虫けら同然」と言うセリフがあった。
あらためて調べてみると「番付が一枚違えば家来同然、一段違えば虫けら同然」というのが正しい言葉であった。

相撲の世界では古くから言われていることらしい。弟子に対する激励の言葉というが、それにしてはひどい表現である。相撲部屋の暴力体質はこんなところから出ているのかもしれない。

 相撲放送は早い晩酌には丁度いい時間である。目を凝らすこともなく、勝負は数秒で終わるから酒の邪魔にもならない。
 「こりゃあ、いい相撲だ」、「大関の取る相撲じゃない」、「だらしない負け方するな」、と一人ぶつぶつ言いたいことを言って飲めばストレス解消ともなる。

 5月場所が始まったが、5月場所は夏場所ともいう。どちらが正しいのかと思ったら5月場所が正式な呼び名で、夏場所は通称ということであった。

 場所の呼び名もそうであるが、相撲にはいろいろ分からない言葉やしきたりがある。
 大相撲の大とはどういうことなのか。力士と関取は違うのか。制限時間とは何を制限するのかなぜ何度も仕切るのか。

塩を撒くというのも大層ないわれがあるのだろうが、どうも相撲というのはあとからとってつけたような話が多い。


 いつものことだが今場所も休場者だらけである。横綱、大関や人気力士まで休場では興がそがれる。
 あれだけの体格の格闘技であるから怪我や病気は当然のことであるが、しかし土俵は危険な構造である。

土俵が高くなっているのは、倒れた力士の衝撃を緩和するためのものとされているが、落ちたところに100キロを超える勝った力士が倒れ込めば、下になった力士の足や腕などは折れてしまうのではないだろうか。

相撲協会は安全に対する配慮よりも興行収入にしか関心がないようだ。1年6場所。それに地方巡業。お相撲さんは怪我をしても直す暇もないのではないか。横綱大関がそろって休場では看板スターを欠き、興行そのものが成り立たないはずである。

 お相撲さんの名前は15日間も観ていれば大体覚えるが、せっかく覚えた名前も次の場所には忘れている。
 新しいお相撲さんでも熱海富士とか尊富士といった特徴のある人は覚えるられるが、大栄翔、阿武咲、明生といったお相撲さんになると、名前は憶えても顔の見分けがつかない。顔の判別は認知症検査にあるかもしれないから、今からしっかり名前と顔を憶える訓練をしておかなければと、相撲を見るたびに思う。

 相変わらず宇良さんはピンクのまわし。昨日の相手宇良さんより濃いピンクのまわしであった。どう見てもピンクのまわしは相撲には似合わないと思うのだが、愛用者は増えているようだ。そのうち水玉模様とか花柄の、可愛いまわしを締めたお相撲さんを見ることになるかもしれない。

 いつ頃から始まったものか知らないが、時間いっぱいになってタオルを受け取り、顔や腹のあたりを拭くことになっている。あれはオシボリということなのだろうか。
 やれやれ、という感じで気持ちよさそうに脇の下まで拭くお相撲さんを見ると、どこかの銭湯にでもいるのではないかと思う。

 タオルを使い終わって、「そうだ、こうしちゃいられない」と自分の顔や胸、足をひっぱたいて何か自分に思い込ませるような仕草をするお相撲さんがいるが、タオルなどで一息つかないでそのまま立ち会った方が闘いやすいのではないだろうか。

 相撲は一瞬で終わるものであるが、長い解説には閉口する。
 北の富士さんは長くしゃべっても一つのセンテンスが短かった。「相撲は理屈じゃない」と言いたいのかもしれない。体調がよくないようだが、相撲なんてもんは……」という話をまた聞きたい。()

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