画竜点睛を欠く

つぶやき

 「画竜点睛を欠く」(がりょうてんせいをかく)という中国故事があるが、本来の内容と一般に理解されている内容が違う。

 故事は、ある画家が仕えていた帝からお寺に竜を描くことを命じられ、すばらしい絵を完成させるが、なかなか目を描き入れようとしない。
 ある人が理由を尋ねると画家は「瞳を描くと竜が飛び去ってしまう」と答える。
 しかしその言葉を信じない人々が瞳を描いてほしいと懇願し、しかたなく画家が目を描いたとたん、たちまち竜は動き出して天に昇って行ってしまった、という話である。

 ネットなどでは「画竜点睛を欠く」の意味を、「物事をりっぱに完成させるための、最後の仕上げを忘れること。また、全体を引き立たせる最も肝心なところが抜けていること」として解説している。

 中にはこんな説明をしているものもある。
 「仕事や勉強などにおいて、最後の最後で失敗をしてしまったという経験はありませんか? 画竜点睛を欠くとは、まさにそんな時の状況を表す言葉です」
 ネットの記述は信用するものではない。

 この故事からすれば、「最後の仕上げを忘れる」、とか、「最後の最後で失敗をしてしまったという経験」などということにはならないはずである。どこにもマイナス的な部分はない。素晴らしい絵を描いたということだけである。

 「欠く」という言葉がいけないのかもしれない。欠くというマイナス的な感じがこのような解説をもたらしたものと思う。

 「画竜点睛を欠く」とは完璧な仕事や作品に対する賛辞である。あえて描き残した瞳を描いたら竜は飛び立ってしまう。これほどの褒め言葉はあるだろうか。

 女房の絵のサークルの発表会で「画竜点睛を欠く」と誰かの絵に私が言ったらどういうことになるのであろうか。

 けなされたと思う人が多いようであれば、中国故事はやたらと使わないほうがいい。

(了)

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