生きるよろこび 

つぶやき

 若い頃、「人間なんのために生きるのか」、と考えると難しい問題になってしまうが、高齢者になって、「今なんのために生きるのか」と考えると、簡単なことになる。「まだ死なないから」である。

 「まだ死なないから」生きている人には、老後資金が足りず生き延びるために一生懸命働いて生きている人と、働かなくても生きていける人に分かれることになってしまう。

 しかしいずれであっても人間は、「生きるために生きている」ということになる。

 「人間なんのために生きるのか」という命題に、「生きるために生きている」という答えでは、なんの答えにもなっていないと言えるが、そうでもない。

 「生きるために生きている」という生き方は確かにある、というより大半の人は「生きるために」生きている。

  企業はなぜ年金の半分を負担するのだろうか。無意味な疑問ではない。何か魂胆がなければこんなことをするはずはない。

 年金制度のスタート時点まで遡らないと分からないことかと思ったが、要は定年制の導入のフォローではなかったか。

 労働力が潤沢であった時代、高給取りの社員は辞めてもらいたいという意図が企業にはあったはずである。
 
 昔、西武ライオンズという球団は、子飼いの選手が活躍して高額な年俸をとるようになると、看板スターというような選手でも放出した。

 働き盛りの人を企業は切ってしまう。それを正当化するために、本来受給者が全額負担すべき掛け金の半分を企業が負担することにした。そんなところではないだろうか。
 
 非正規雇用やパート社員で企業が成り立つなら、企業の年金負担は無用となるはず。現にそういうことになりつつあるらしい。
 
 「死なないから生きている」人生でも、生きる喜びを感じる人生でありたい。

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