生きていく人の方が大事だ

つぶやき

 老後の生活資金について何年も前から話題になっているが、今後年金の支給額は減ることはあっても増えることはないだろうし、現役時代の給料が潤沢にアップするとは考えにくい。

 企業はリーマンショック以来、内部留保にしか関心がなく、ここ数十年日本の勤め人の給料はアップしていないと言われている。

 給料のアップどころか就職氷河期と呼ばれた時代の若者たちは、非正規社員として50代になっても低賃金に苦しんでいる。

 年金だけでは生活できないから70才過ぎても働かざるを得ないが、それによって得た収入を貯蓄に回すなどということはできるはずもない。今まで日本はなんとかなる国であったが、これからはそんな余裕もなくなってしまうだろう。

 そんな指摘がこのところ新聞や雑誌などで、はばかることなく言われている。そのうち「日本がダメになったとおっしゃいますが、誰も餓死していないではないですか」と高市議員あたりが言い出すのではないかと思う。
 この女性議員は国民の立場から政治を考えるということを全く知らない人である。

 ひとり暮らしであった妻の叔母は昨年に亡くなったが、介護施設で暮らす資金が足りず、私の妻たち甥姪にあたる者が負担せざるをえないことになった。

 年間1人当たり10数万円の負担である。他にも叔母の親戚になる者は何十人といるが、声をかける価値のあるような人は一人もいなかった。

 昨年叔母の墓所の管理費用の請求があった際、忍野に住む義妹夫婦が金銭的に困っているらしいことが分かった。今まで10年以上もよく払ってくれたと思う。

 本来であれば家を相続した義兄が、義父の「妹を頼む」という遺言を果たすため施設に入れたのであるから全額負担すべきだと思うが、義兄は兄妹3人で公平に負担しようと決めた。

 親の財産は一人で相続して、負担は兄妹で公平に、と言うのでは何が公平なのか話にならないが、親と同居し親の面倒を見てきた、という自負があったのかもしれない。義兄を批判する気はないが、世事に疎い人であった。

 3人の兄妹が何のわだかまりもなく支払ってきたことは幸いなことであった。もし誰かが言い出せば争族になっていたかもしれないことである。

 ここで書きたかったことは、妻の叔母のためにお金を出した、ということではない。もし叔母に甥や姪がいなかったら、家族のいない叔母は死ぬまでどのように生きていたのだろうか、ということである。

 高齢な夫婦のうちの夫が亡くなれば、残された妻の生活費は遺族年金とかの年金と夫が残した預金ということになる。
 子供からの援助ということもあるだろうが、親に生活援助できる子はそうはいないのではないか。

 夫が長期に介護施設にでも入ることになればその費用は決して安くはない。年金だけでは払いきれない金額が請求されてくるはずである。介護施設も公共料金の値上げなどに合わせ、今後もますます費用が高額になるだろう。

 預金を取り崩してでも、夫が回復して施設から出ることができればいいが、回復の見込みがなければ場合によっては預金を使い果たすことにもなる。老いは、元気なうちには想像もできない様々な問題を含んでいる。(了)

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