生きがいと張り合い

つぶやき

 今は全く見ることもないが、「人生には楽園が必要だってね」というナレーションで始まるテレビ番組がある。以前、この番組の舞台となった場所と人を偶然に知ることになった。

 とんでもないインチキであった。この人たちは映像にあるような人間ではなく、その場所も楽園とはほど遠い、憎悪と悪口の言い合いに充ちた村であった。こういう番組は当然本当の話と思っていたが、作り話であった。

 こんなことのためにブログのスペースを使いたくなかったが、映像というものが如何に真実っぽく嘘をつくものであるかを言いたかったのである

 生きがい、やりがい、張り合い、という言葉がある。がいは漢字で甲斐と書くようだ。これにはこの他に、「育てがい」とか「教えがい」という言葉もある。

 人生には生きがいが必要であると思うが、生きがいと張り合いはどう違うのであろうか。「生きがいがあると人生に張り合いを感じやすいですが、日本人のなかには、生きがいを感じられない、という人も多いです」こんな説明文がネットにあった。

 そうかなあ、ちょっと違うな、という気がする。「この子が生きがいです」、「この子がいるから生きていく張り合いがあります」生きがいは静的、張り合いは動的、というようなことを考えたりしたが、このネットの表現が正しいのかどうか、はっきりとは分からない。

 趣味や習い事の場合、スポーツも同じだと思うが、やはり目的とか目標がないとやりがいも張り合いもない、ということになる。発表会とか対抗試合でもしなければ漫然として、やる気が起きないであろう。

 なんとか趣味を持ちたいと、仏像などの彫刻もいいかな、と考えたことがある。根っからの不器用であるからうまく彫れるはずはないが、刃物が好きなのでそんなことを思いついたのだと思う。

 しかし考えてみると仏像を彫っていたら趣味どころではなく、気分は滅入ってしまうかもしれない。やはり彫刻教室などでも、展示会などをして発表の場を持たなければ、会員にやる気や張り合いを持たせることはできないのであろう。
 仏像の展覧会。思わず合掌である。

生きがいや張り合いも人生にとってすべて必要なものだと思うが、年齢によって必要なものが違ってくるような気もする。年 寄りに必要なのは何よりも張り合いではないだろうか。
 
 張り合いと張り合うは同じ言葉であると辞書に書いてある。しかし「生きていく張り合いがない」というときの張り合いと張り合うは違うのではないか。この場合の張り合いは心の在り方だが、張り合うは相手と競い合うことである。張り合いは字は同じでも2つの意味を持った言葉ではないかと思う。

 年寄りに必要なのは張り合いではないかと前述したが、生きがいややりがいはもう終わっているから、残っているのは張り合いしかない、ということである。その張り合いを持つことが年寄りには難しい。

 仕事をしていたときは張り合いがあった。何が張り合いだったのかと考えてみると、なんの心配もなくお金が使えたことである。

 おいしいものを食べようが、気に入ったジャケットを買おうが、バイオリンの弓に大枚使おうが働けば済むことではないかと思っていたし、現にそれで済んだことであった。物を買い、いい店で食事をする。これが張り合いなのである

 そんな下らないことが張り合いなのか、と思われるかもしれないが、他にないのだからそういうことになる。働くことが張り合いなのではなく、働くことによって欲しい物を手に入れ、あるいは欲しくもない物も手入れ、おいしいものを食べて家族の喜ぶ顔を見ることが張り合いなのである。

 そうであるから、歳をとって仕事をやめ、人生を過ごしていくことは大問題なのである。「今まで忙しい思いをしてきたのだから、このへんでゆっくりしたらいいじゃないですか」というような悠長なことではない。

 収入に結び付かない生活から張り合いを持つことは難しいことであると思う。
ボランティア活動。確かに張り合いがありそうである。しかし私などがやったら気持ちのバランスが保てるだろうか。

 ボランティア活動。通り一遍の考えで始めても、張り合いとするのは難しいことだろう。どんなに良くしてあげたって人は感謝などしないものである。

 「かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め」と言うが、要は人は情けをかけられても恩を受けてもすぐに忘れてしまうものである、ということ言っているだけのことである。

 皆さん何事もないように、さりげなく老後の生活を楽しんでいるように見える。しかし張り合いのない生活で人生を楽しむことは容易なことではない。楽しむことが張り合いのように生きていくことになる。ここが年寄りのつらいところである。若い頃は張り合いがあって、そのことが楽しみだった。

 朝刊に2人の訃報記事があった。大江健三郎氏と伊藤雅俊氏である。
 「国内外の作家が仰ぎ見る現代文学の最高峰、大江健三郎さんが88歳で逝った」という書き出しをもって新聞は大江健三郎氏を悼んだ。

 伊藤雅俊氏はイトーヨーカ堂の創立者である。98歳。日本の最高の経営者ではなかったか。知の巨人と商の巨人が亡くなったことになる。ともに死因は老衰とあった。
 お二人とも生前からすれば思いもしないことである。
 これからの日本が心配になるお二人の死である。(了)

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