「なに、本浦千代吉は生きている?」
映画「砂の器」で、すでに死んでいると思われる和賀英良の父親が、ハンセン病の施設で今でも生きていることを観客に知らせる警視庁捜査1課長のセリフである。
こんな書き出しで始めるつもりではなかったが、「父親が生きていた」という話はなぜかこのセリフになってしまうのである。
「そんな人知らねえ」と叫ぶ父親の、生き別れになった子供に対する思いまで書きたいところだが、これからの話には関係なさそうなのでやめておく。
若いアメリカ兵であった父親は、自分が生まれる前に朝鮮戦争で死んだと母親から教えられていた。しかし10年前まで生きていたことが判った。
父は20歳そこそこ。母は10代の若い同棲であった。
身ごもった母を残し、アメリカに帰った父親はその後アメリカ人女性と結婚した。(ドイツ人女性という記述もある)
母親は出産後、父あての住所に生まれた子供の写真を入れてアメリカに送ったが父からからの返事は全くなかった。
父親の写真は全部焼き捨てたという。子供は成人してからも父親の顔を知らない。
先日放送された草刈正雄さんのファミリーヒストリーに関する記事の主要部分である。その放送後「感動した」「映画を観ているようだった」などの書き込みがSNSにはあふれ、視聴者の胸を打つヒストリーということになった。
しかし草刈さんは真実が明らかになるたびに複雑な感情を抱いていたという。そんなことがネットに記載されていた。
母親は、父親が戦争で死んだことを確認したわけではないはずである。
父親の写真は、唯一子に父の面影を教える大切なものである。
父親は戦争で死んだと子に言うのであれば、なおさら子に伝えるために写真は残しておくべきである。
そうであるのに何故死んだことにして、写真を焼却したのか。
夫との決別を決心し、子供と二人で生きていくことの母親の覚悟を示すものではないか。まだ20歳になるかならないかの女性が、そんな決断をしたということである。
私はこの番組を見ていないが、この番組に視聴者の感想が前述したように寄せられたとするなら、製作者であるNHKは何を意図したのであろうか。見れば判るものかもしれないが、見ていないから言えることもある。
草刈さんは父親に対して「怒りを感じる」ということも周囲に言っているらしい。もともとそういう話である。後日特別編があるそうであるが、NHKさんはこの話をどう終わらせるのだろうか。
死んだ父親もその親戚も、日米友好関係の下において悪者にすることはできないだろう。ヤラセまでしなければ話にならないのではないか。簡単なことではないと思う。
ネットに母親と一緒に写る幼いころの草刈正雄さんの写真があった。私が母親と写る写真と似ているのである。私が草刈さんに似ているということではない。
あの当時の写真館での写真は、構図とか雰囲気はみんな同じようなものであるが、草刈さんの母親の目と私の母の目が同じような目をして写っているのである。
着ている物もそんなにいい物とは思えない。私の母も一人で生きてきた人である。いずれも子どもの成長に安堵する表情と、生きていくことの緊張がその表情に出ている。そのように私には見えた。
昭和20年代から30年代。自分が生きてきた時代ではあるが、幼さゆえに知らない時代である。いろいろ女性が苦労した時代であった。
報われる苦労と報われない苦労というものがあるだろう。
「お父さんはあなたよりハンサムだった」と草刈さんに言ったことがあるという。草刈さんのお母さんは幸せな人だと思う。あの時代、いっときであったとしても、アメリカ兵との間に恋があったと思うからである。 (了)
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