熟 年 離 婚

つぶやき

 全く知らなかったが、熟年離婚とは2005年に放送された民放テレビのドラマの題名であったそうだ。

団塊世代の大量定年問題を踏まえ、夫婦のあり方を扱ったドラマということになっている。団塊の世代というものは、いつも問題児のように取り上げられている。

 若い頃とは違い、熟年ともなれば物事の分別もついているはず。その熟年が離婚をする。ドラマは大変な人気があったらしい。
 
 熟年離婚は、妻が離婚を言い出すことが味噌である。
今までいい母であり、いい妻であった者が突然反旗を翻す。夫は妻の言葉にうろたえるだけである。

 「今まで納得していたではないか」と思っていたことすべてに、妻の不満があった。
ドラマがそのことをテーマにしたのかは知らないが、熟年離婚は妻が決して納得して家事や育児をしてきたのではないことを世に示した。

さらに、定年になって家でごろごろしている亭主に、妻は生理的嫌悪感を持っていることも明らかになった。

団塊の世代の男は、「夫は仕事、妻は家事」という考えにどっぷり浸っている人種である。家事分担などということが理解できるはずはない。

 結婚は夫婦どちらかの我慢で成り立っているものである。両方が我慢しあうのが理想であるかもしれないが、通常は妻が我慢することになっている。

「そういう考えがいけないんだ」、という反論は承知のうえである。

熟年離婚は妻が我慢しなくなった、我慢しなくてもいい時代になったということである。妻の我慢はひとえに経済的なことである。「誰のおかげで飯を食っているんだ」という言葉がまかり通る時代が長すぎた。

女性たちは自由になりたい、自分のためにすべての時間を使える生活をしてみたい、ということであろう。

「残された人生が少なくなってきたからこそ、本当に大切なことや本当にしたいことなどが見えてきて、その光景を想像する時、隣にいるのは今のパートナーではないと気付いてしまうのかもしれません」という記述があった。

熟年離婚は結局うまくいくのであろうか。熟年離婚をネットで検索すると出てくるのは弁護士の広告ばかりである。

夫から金を取れなければ熟年離婚は失敗に終わる、という脅しである。熟年離婚は弁護士たちのいい飯の種であるらしい。夫からすればハイエナのような連中である。

私の結婚は妻の我慢で成り立ってる。妻はかなりの額のへそくりを持っているから、離婚しても困ることはない。

なぜ我慢しているのかといえば、女は我慢するものだ、という時代に生きてきた人だからである。男は台所に立つものではない、と同じことである。

妻を元気な内に自由にしてあげたいと思っているが、離婚は不便になって困るから自分が早く死ぬしかない。

多分、妻は一人になっても人生を楽しむことができる人である。私と一緒に暮らすことで妻の才能をつぶしてしまったような気がしている。

妻の体が元気に内になんとかしなければと思っているのだが。(了)

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