災害は忘れた頃にやってくる

つぶやき

 気象庁はきのう南海トラフ「巨大地震注意」情報を発表した。
 2019年に、南海トラフ地震の発生を想定した評価会なるものが発足して以来、初めての情報発信だそうである。
 
 かなり発生確率が高いということなのだろうか。
 東北大震災の時も本震の2日前に、マグニチュード7.2の地震があり、それをそれまでの微震の本震と思い込んでいたため、3月11日の津波の被害を大きくしてしまったということが言われている。
 きのうの日向灘の地震はマグニチュード7.1であった。

 何事もない日常に、突然凶暴な天災が襲ってくる。こんなことが起きていいのかと思うが、地球上の最も危険な地域を生息地とした日本人の運命である。
 諦めると言っては命に関わる事、そんなに簡単に口に出すものではないが、しかし、諦めるとしか言いようがない。

「揺るがぬ大地」「母なる
大地」。日本人にはこの言葉に託す思いはない。

 南海トラフ地震による想定死者数は32万人と言われている。
 西日本全域の大惨事である。それで済むとは思えない。

 関東地方に住む大多数の人は大地震の経験をしていない。関東大震災は1923年(大正12年)の100年も前のことである
 高度成長期は、震災体験や戦争体験をした人が社会の中核であったが、その体験が、後の人に受け継がれたことはなかったように思う。

 東京にこの100年、大きな地震が発生しなかったことは奇跡と言われる。
 大地震は来るかもしれないが、来ることはないだろう、と人々は思っている。
 防災を考えるより、きれいな街づくりをした方がいいに決まっている。
 日本人は無常でもなんでもなく、ただ忘れてしまう国民なのである。

 しかし災害の当事者は忘れない。
 日本は忘れてしまう人と、忘れることはできない人が同時に存在している国である。

東京に大地震が起きていれば、忘れることができない人が、忘れてしまう人より多かった。
 忘れることができない人が政治家を含めて多ければ、日本の防災はうまくいったはずである。

 しかしこれからの大地震には原発事故がついてまわる。原発事故は将来何万年、何十万年にも続くものである。忘れようにも忘れることはできないものである。(了)  

コメント

タイトルとURLをコピーしました